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院長日誌

2006.11.18 院内の事 Welcome to Dr. Hiro' Orthodontic World !!



今年の3月、New Yorkで世界舌側矯正歯科学会が開催されましたが、学会から帰国するとすぐに1通のメールが届きました。
スペイン・バルセロナの University International of Catalunya の教授であり、バルセロナ市街の激戦区で開業している矯正専門医である Dr. Fernando de la Iglesia からです。
「NYでDr.Hiroの講演にたいへん感銘を受けたので、是非オフィスを見学させて欲しい」と、写真付き履歴書を添付で送ってくれました。
先日来たDavid Manzaneraもスペインから、Fernandoもスペインからです。
Fernandoに「日本には学会か何かで来るのか?」と聞くと、「No」とのこと。
「他の先生のオフィスを見学するついでに来るのか?」と聞くと、「日本には、Dr.Hiroのオフィスを見学するためだけに行く、ひろ矯正歯科に行くためだけにスペインから日本に行く」とのこと。
僕に何か出来ることがあればと思い、歓迎しました。
そうしたら、3月の時点でもうすでに10月の飛行機を予約したというので、近年稀に見る行動派です。




10月25日、昼11:25分に松本駅に着くというので、ホテルに迎えに行きます。
今日は月曜日なので、僕はお休みなのです。
車を駅近くの駐車場に入れ、ホテルに向かって歩いていると、駅から東急インに向かって旅行カバンを引きずる3人連れの外人がいます。
あれがFernandoだなと思いつつ、交差点で御対面。
やはりそうでした。
Ferandoと、奥さんと、技工士のGloriaさんです。
折角来るなら、技工士を連れておいでよ、それから自分のケースを持っておいでよ、ラボを教えてやるから、と伝えたんです。

ムチョ・グスト(はじめまして)、コモエスタ・ウステ(こんにちは、ごきげんいかが)と、挨拶をすませ、駅前の東急インに案内します。
駅に近い方が何かと便利なので、僕が会員価格で予約しておきました。
お昼前ですが、チェックインが可能で、部屋に荷物を置いて出掛けます。
お昼ご飯は伊勢町の「バリゾート」で「ナシゴレン」を食べ、その後、松本城を案内します。


今晩はしゃぶしゃぶだよ、と話すと、じゃあここは僕が払っておくよと、Fernandoが払ってくれました。
ごちそうさまでした。それにしても、暑かったな、この日は。寒いから上着を忘れるな、と言ってあったので、全然寒くないじゃないか、と、フード付のダウンジャケットをたたんでいました。




松本城の説明を聞く。オジサンはボランティアの英語のガイドの方です。




松本城観光は気に入って貰えたかな、、、?


その後、四柱神社、縄手通り、仲町と松本の典型的な通りを案内し、僕は一旦家に帰ります。
アスタルエゴ(また後ほど)!


晩ご飯は定番、割烹仙岳のしゃぶしゃぶです。
寿司と天麩羅は食べた事があるが、しゃぶしゃぶは初めてだというので、食べ方を説明します。
お肉をお湯につける時は「しゃ~ぶしゃぶ、しゃ~ぶしゃぶ」と言わなければならないのだと説明すると、彼らみんなは真面目に「シャ~ブシャブ、シャ~ブシャブッ」と言いながらお肉をしゃぶしゃぶしています。
えへへ、、。


「しゃ~ぶしゃぶ、しゃ~ぶしゃぶ、、。」


食事をしながらいろいろと話を聞きます。
彼はバルセロナで矯正専門開業していますが、彼のオフィスの半径100m以内には8軒(!)の矯正専門医があるとのこと。
バルセロナ市内には何軒の矯正歯科専門医がいるのかと尋ねると、星の数ほどで、数え切れないという。
バルセロナの人口は157万人、塩尻市の人口は6万人。
僕は都会が大嫌いです。
息が詰まります。
僕にとっては、自分のリラックス出来る環境で生活し、毎日新鮮な空気を吸って気持ちよく仕事をするのが、良い治療をする最低条件です。
僕は長野県の豊かな自然を愛し、長野県の人を愛し、自分の医院とスタッフを愛しています。
約3時間、食事をしながらお話をしてお別れです。
Fernandoからは、高級ワイン4本と、たくさんの生ハムと、たくさんの本と、おまけに子供達のお土産まで頂きました。
さぞ、重かったでしょう、、ムチョスグラッシャス。


翌日、お昼過ぎにFernandoと歯科技工士のGloriaさんが医院に来ました。
医院の中をひととおり案内し、午後から通常どおり診療です。
初診、診断、Brace on(矯正装置を装着すること)、Brace off(矯正装置を外す事)、抜歯、いろんな処置を滞りなく的確に処置をするのを見て、いささか面食らったようです。
彼は火、水、木と3日間見学してゆきましたが、マメにメモを取り、いろんな事を質問してきます。 非常に勤勉です。
ひろ矯正歯科では、普通の矯正専門医と違う部分がたくさんありますので、質問が多いのは当たり前です。

Q1:なぜ、バンドを巻かないで全ての装置を接着で治療するのか?
Ans:
1,チェアータイムの短縮
2,患者さんの不快感の軽減
3,歯肉炎の減少
4,バンドを巻くとギラギラ光って審美的に良くない
5,バンドを巻くと装置撤去後にバンドスペースが残り、食片圧入の原因となる
6,バンドを巻くと装置撤去後にバンドスペースが残って歯が移動し、咬合関係が狂う
7,バンドを巻くと、装置の位置づけが正確でなくなるので、きちんと治らない
などの理由から、ひろ矯正歯科ではバンドを使わないんだと説明します。
バルセロナではバンドを巻かないなんて不可能だ、みんな装置を壊してしまう、というので、それは日本でも同じだ、患者さんに必要性を説明して、患者さんに理解してもらって、食べ方の指導などをきちんとすれば大丈夫だよ、と話します。


真剣な顔つきで見学するFernando


Q2:エッチングの不要な接着剤について、メーカー名とそれを使っている理由は?
Ans:メーカーは松風、使用している理由は、
1,エッチングをしないことで虫歯の発生をかなり抑える事が出来る
2,さらに、フッ素徐放性であるので、虫歯になりにくい
3,チェアータイムが大幅に短縮された
4,ブラケットの脱離による急患が極端に減少した
5,除去が容易である
などなど、、。

Q3:スペースクロージングのメカニクスは?
Ans:ひろ矯正歯科では、患者さんに少しでも快適に治療を受けて頂くために、ループは使わないで、全てスライディングで行っている。外側には一切装置を付けない。パワーチェーンを外側にまわす先生もいるが、ひろ矯正歯科ではそんな不細工な治療はしない、と説明。
じゃあ、エラスティックはどうやってかけるのか、というので、内側から内側にかける、と話すと、他の先生と同じく、そんな事は出来ないだろう、という顔。
ちょうどゴムを使う患者さんがいたので、ゴムをかけてみてください、というと、その患者さんは一瞬にして裏側どうしでゴムをかけるので、Fernandoは目が点になっていました。
ひろ矯正歯科は治療のレベルも高いが、患者さんのレベルも高いんですよ。 


EBOのファイルを見るFernando


ほかにも、たくさんたくさんの質問がありました。
二階では、世界に誇るひろ矯正歯科の技工士が Gloriaに最新の技工手順を指導します。


こうゆうときに日頃の英語レッスンが役に立つ!


その間、奥さんは何をしているのか、、、じつは、うちの家内が料理教室に連れて行っています。
翌日は茶道にと、日本文化を紹介します。


裏千家奥平先生、お忙しいのに、本当にありがとうございました m(_ _ )m。




夜は、焼き鳥大吉にて。大切な日本文化、ドジョウすくいを披露します。
爆笑でした。あっはっは~、楽しい。



医院見学を受け入れるのに1日当たり10万円以上のお金を取る先生がいます。
ひろ矯正歯科では、No Chargeです。
なぜタダでそこまで見せて、ラボまで教えて、食事まで連れて行って、と、不思議に思うかも知れませんが、僕はただ、彼らにリンガルのスペシャリストになって欲しい、名ばかり有名で治療が全く出来ないくせに偉そうにしている人たちを見返せるようなドクターになって欲しい、ただそれだけが願いです。
Fernando, you must be the NO.1 Lingual Orthodontist in Spain!!


3日間、アッと言う間に過ぎました。
最後の日、11月3日は軽井沢を案内し、軽井沢から新幹線で東京へ向かいます。
毎日、朝から晩ご飯まで一緒にいたので、家族のようです。
別れ惜しいです。


軽井沢鬼押し出しにて。 またおいでね(^ε^)-☆。

2006.11.14 矯正学 出口敏雄教授 御退任記念式典に出席

松本歯科大学歯科矯正学講座、松本歯科大学独立系歯学研究所教授、総合歯科研究所、そして、シンガポール国立大学歯学部歯科矯正学修士課程教授の出口敏雄先生が、2007年3月を以て松本歯科大学を退官されますので、退官記念祝賀会が10月29日、名古屋のマリオット・アソシアで開催されました。

出口先生は1964年に東京医科歯科大学歯学部を卒業、大阪大学大学院歯学研究科を修了されたあと渡米され、インディアナ大学大学院歯学研究科修士課程を修了されました。
帰国後は、名古屋大学医学部助手、徳島大学歯学部助教授に就任されたあと、1970年より、松本歯科大学歯科矯正学講座の主任教授として、現在まで想像を絶する超々多忙な日々を送られて来られましたが、退官後は隠居されるどころか、シンガポール国立大学歯学部歯科矯正学修士課程教授として赴任されます。



とうとうこの日が来てしまいました、、。






自分が矯正学を志したのも出口先生がいらっしゃったからで、僕の人生に一番大きな影響を及ぼした先生です。
矯正学の教授が出口先生でなければ、自分は矯正専門医にはなっていなかった事は間違いありません。
矯正科に入局した当初は、右も左もわからず、礼を失することも多々あったと思いますが、終始、暖かく見守ってくださいました。
当時は松本歯科大学には大学院がありませんでしたが、福岡歯科大学に持ち込みで学位まで取らせて頂きました。
Charles H. Tweedや、Univ. of Southern Californiaのコースを受けろと、他の先輩医局員をさしおいて真っ先に声を掛けてくださったのも出口先生、自分が医局を退職した後も終始御指導御鞭撻を頂き、英国矯正歯科認定医(M-Ortho RCSEd)や、ヨーロッパ矯正歯科学会専門医試験(European Board of Orthodontists)に挑戦する機会を与えてくださったのも出口先生、Indiana Univ.でJarabak Awardを受賞された時に舌側矯正に関する講演をさせて頂く機会を与えてくださったのも出口先生、矯正学の楽しさと恐ろしさを教えて下さったのも出口先生、野球を教えて下さったのも出口先生、、、。

医局に在籍当時、出口先生の姿を見ていてつくづく感じたのは、矯正歯科医というのは明けても暮れても勉強なのだ、一生全開で走り続けなければならないのだ、という事でした。
医局を退職して開業した後も、こんな出来の悪い教え子が、医院の採算など度外視で、診療に、研究に、学会発表にと、時間と労を惜しまず頑張って来れたのも、出口先生の姿をいつも見ていたからこそであると思います。
いつも他の矯正専門医の先生から「開業していて、そんなにいろいろ一人で出来るわけがない」と言われますが、自分としては当たり前の事をしているだけです。
自分のしていることなど、出口先生の何百分の1、いや、何万分の1です。

式典では出口先生の業績集を頂戴いたしました。
「論文は、英語論文しか論文とは言わない」という出口先生の口癖どおりに、英語の論文・学会発表は124を数え、本当にこれほどの業績を、診療、教育、研究にと残された先生は稀ではないかと思います。

22年間お世話になった出口先生が松本から去られるというのを考えると、本当にこみ上げてくる物があります。
いつかは来る日だということは分かっていましたが、いざ、この日になってみると本当に、、、辛かったです。

お目出度い席なので一生懸命気持ちを切り替えるように努め、宴会中は他の先生達と楽しく過ごさせて頂き、気を紛らわすことが出来ましたが、最後に金屏風の前で出口先生御夫妻に御挨拶を申し上げた際には、本当に涙がこみ上げて来て言葉が出ませんでした。
この場を借りてお詫び申し上げますとともに、今後の益々の御活躍をお祈り申し上げます。



長い間、本当にありがとうございました。
これからも精一杯頑張りますので、よろしくお願いいたします。




僕は一番下座の、出口先生のご家族と一緒のテーブルで嬉しかったです。




当日、塩尻駅前ではワインフェスティバルが、、、飲みたかったけど、我慢しました。

プロフィール

院長

長野県松本市在住

  • 1960年生まれ

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