半世紀といえば、50年です。
早いものです。
何が?
じつは、先日、満50才の誕生日を迎えました。
毎日、若くて美人のスタッフに囲まれて仕事をしているため、年よりも随分若く見られ、今回の日矯学会では、「ひろ先生、30代かと思っていました」などと言われましたが、とうとう50才、半世紀オヤジになりました。
私は、この記念の日を「半世紀」ではなく、「反省期」であると受け止めました。
今まで、いつもストレートに物事を考え、いつもストレートに物を言ってきた50年間。
曲がったことが大嫌いで、スジの通らないことに関しては「おかしい!」と、相手が歯科医師会長であろうが、学会長であろうが、そんなことは関係無しに、自分の意見を主張してきました。
それで自分が今後、困難な状況に置かれるだろうということがわかっていても、「おかしい物は、おかしいでしょう!」と、黙っていることが出来ない。
自分の足を踏まれても、黙って我慢することは出来る。
でも、人の足を踏んづけて平気で笑っている奴は許せない。
50になって、おくればせながら気付いた事は、おかしい事を おかしいと言っても、おかしい人にはわかって貰えない、それが当然だと思っている人を変えることは出来ない、ということです。
誰かが言っていました。
「言ってわかる奴は、言わなくてもわかる。言わなきゃわからん奴は、言ってもわからん」と。
世の中には、物事を自分の都合の良いようにしか考えない人がいる、おかしい事を平気で押し通す人もいますが、私はそうゆう人間には絶対になりたくないと思います。
自分は何故生かされているか。
自分のためにではなく、人のために仕事をし、人のために生きている、と、私は考えます。
(宗教じみた書き方ですが、無宗教です。)
50回目の誕生日、去年に続き、今年もスタッフのみんなが、私の誕生日に色紙に寄せ書きをくれました。
みんな、有り難う、、嬉しかったです。
時には厳しいことも言いますが、いつも感謝しています。
残りの人生は、付き合う人を選び、人間に磨きをかけたいと思います。
ただ年をとってゆくのではなく、人から憧れられるような年のとり方をしたいと思います。
それは、金でも、権力でも、名声でもない。
人間性として内面からにじみ出る渋さでありたいと思います。
まだまだ未熟者ではございますが、これからも御指導の程、よろしくお願いいたします。