うちの長男が昨年春、大阪大学の歯学部に入学しました。
親は馬鹿でもよく頑張った!
と喜んでいた矢先、夏休みの前に長男から相談を受けました。
毎日大学に通って、勉強して、友達も出来て、大学での生活が楽しい。でも、幼い頃からの夢だった映画監督の道をどうしても捨てきれない、だから休学して暫く映画に打ち込みたい、とのこと。
折角阪大に入ったのになあ、と思う反面、そういえば、小中学校の頃、いつもお風呂で映画の話ばかりしていたなあ、あの頃は、現実味のない夢物語に腹を立てたこともあったなあ、もっとじっくりと話を聞いてあげれば良かったなあ、可哀想なことをしたなあ、と、つくづく思いました。
思えば、今から38年前、自分は高校3年生の夏休みまで弁護士になりたくて文系を専攻していました。
ところが夏休みにコロッと気が変わって、歯医者になりたいと思うようになって理転、それから半年間、週末だけは塾に通い、歯学部を受験しました。
当時の親の所得も知らず、学費のことなども一切考えず、国立なんて受験もせず、確実に入れそうな私立の歯学部を受験。
親にどれほどの苦労をかけているのか考えもせずに、好き勝手に暮らした6年間。
わがままな馬鹿息子に一言の愚痴もこぼさず全面的に応援してくれた両親。
今の自分の姿があるのは、喰う物も喰わずに精一杯応援してくれた親があったからに他なりません。
私自身が好きなことをさせて貰ったので、子供にも好きな道を歩ませたいと考えています。
私の個人的希望としては、長男に矯正専門医になってもらって一緒に仕事をしたいなあ、という気がしないでもないですが、もっともっと大きなものを目指しているということは素晴らしいことです。
映画監督を目指すなら、スピルバーグのような世界でも知らない人がいないような名監督になってくれると信じて、プッシュプッシュ、お前なら出来るよ!
そのためにも、阪大を中退するのではなく、最短で卒業して、歯科医師のライセンスを持っている映画監督になり、歯科医師が監督するひと味違う映画を作って欲しいなと思います。
先日作った映画のプロモが出来たようですので、御紹介いたします。
内容は、下のポスターをクリックして頂ければ、別画面に飛びます。
皆様、御支援・御協力の程、宜しくお願いいたします。
普段、映画やテレビなど、ほとんど見ない私ですが、お盆明けの日曜日に、TUTAYAで DVDを 2枚借りてきて見ました。
1枚は、石井光太氏原作、君塚良一氏監督の「遺体 明日への十日間」、もう一枚は、「EVEREST」です。
「遺体」は、2011.3.11の東日本大震災から十日間、岩手県釜石市の遺体安置所で、石井光太氏本人が見てきた報道では伝えきれていない現状を綴ったルポルタージュ『遺体 震災、津波の果てに』を実写映像化した作品です。
なぜこれを借りたかというと、塩筑歯科医師会の 6月例会で、茅野市のやつがね歯科の中村達弥先生が講演されたのがきっかけです。
一般の方々は御存知ないでしょうが、私達歯科医師のところには、時々、警察から身元不明遺体の特定に協力を要請するFAXが送られて来ます。
全く身元がわからない場合や、身体の損傷が激しく、顔や身体の特徴から身元を特定することが出来ない場合に、現存歯の本数や欠損状態、虫歯治療の箇所や状態から、カルテと照合し、本人を特定するものです。
法歯学の分野で、歯科的個人識別と言います。
中村先生は、警察協力歯科医として御活躍されており、東日本大震災の際には、現地に赴かれて、被災者の身元確認作業をされており、その準備から現地での苦労などを学術例会でお話されました。
中村先生の講演は内容も話し方も素晴らしく、時間も予定どおりキッチリと終わられて、とても素晴らしいものでした。
講演の終わりに、中村先生がこの映画の事を紹介され、非常に正確に現場の様子が再現されているとのことでしたので、以前から一度見てみたいと思っていました。
柳葉敏郎が歯科医の役を演じていますが、映画で使われる語句も実際の臨床と同じで、非常にリアルです。
かなりショッキングな内容で、自分は入り込んでしまい、涙が止まりませんでした。
皆さんにも是非見て頂きたい映画です。
もう一枚の「EVEREST」は、エヴェレストの山頂を目指すクライマー達の物語で、嵐に襲われ、何人もの人が命を落とします。
何れの映画も実話を元に作られています。
幸いにも、「死」、「お葬式」というものには縁遠い私ですが、何れの作品も偶然でしょうか、「命」、「死」というものについて考えさせられました。
今から38年前、私の両親は、何も言わずに私の好きな道に進ませてくれました。
私立の歯科大学でしたので、親には大変な苦労をかけました。
私がいろんな学会の試験にチャレンジし、耐えがたい苦労にもめげずに歯科医を続けることが出来るのも、親の恩を粗末にしてはいけないと考えるからです。
現在、両親とも健在ですが、最近、急に年をとりました。
先日、伊勢に墓参りに行った際には、猛暑から父が具合が悪くなりました。
幸にも大事には至りませんでしたが、孝行は出来るうちにしたいと思います。
死んでから何回墓を参ったところで、墓は墓です。
みなさんも、親を大切に、お年寄りや子供を大切にしてください。
お盆が明けると、信州は一気に秋色になります。
風邪をひきやすい季節ですので、皆様、御自愛ください。
はやいもので、ついこの間 忘年会をしたところだと思っていたら、もう4月、卒業式はとっくに終わり、入学の季節となりました。
時の経つのはじつにはやいもので、自分が松本歯科大学に入学したのは、36年も前になります。
今まで自分の過去やプライベートについては、院長日誌では触れてきませんでしたが、少しだけ記しておきたいと思います。
じつは、自分は高校3年生の夏休みまで、弁護士志望で文系を取っていました。
ところが、高校3年の夏休みに突然心変わりし、歯学の道に進むことを決意しました。
「決意した」というのは、まあ身勝手な話で、当時の自分は歯学部の学費がいくらかかるのか、仕送りがいくらかかるのか、親の収入がどれほどあるのか等々、考えもしないで、親に前もって相談もしないで、いきなり「僕も歯医者になる!」と言いました。
当時の親の収入を考えると、兄の学費だけでも大変だったことは明らかですから、自分の言葉にさぞ驚き、困ったことだと思いますが、親は何も言わずに二つ返事でOKしてくれました。
高3夏の理転に加え、もともと脳ミソは普通の人の半分くらいしか働いていませんから、国公立などとても無理で、受けたのは実家から通学できる愛知学院大学と、松本歯科大学の2つのみでした。
そして、愛知学院の受験当日。
近鉄急行で名古屋駅に、名古屋駅バスターミナルから市バスで日進町の試験場に向かったのですが、、、市バスに乗るのは初めてだったので、乗り間違えて、バスは全然違う方向に、、。
なんとか試験場に辿り着いたときには、すでに英語の試験が半分ほど終わっていました。
結果は言うまでもなく、自分を受け入れてくれたのは、松本歯科大学のみとなりました。
松歯大は昨今の国試合格率の低さから、雑誌やネットで叩かれていますので、母校を恥じて松歯大出身である事を隠すOBもいますし、国公立大学出身の先生達からは松歯大出身である事を馬鹿にされることも多いですが、自分は、松歯大の卒業生であることを別に隠す必要も無いし、恥じてもいません。
なぜなら、松歯大がなければ、今の自分は無いわけですし、Book smartな先生が何と言ったところで、矯正治療に関して言えば、どんな先生達よりも自分の方が遥かにキチッと治しているし、EBOや JOBを舌側矯正で受かった人間は、誰一人としていないからです。
ちなみに、松歯大の国試合格率は、開学後3年ほどは、日本唯一の足切り無しの100%を達成し、日本中を驚かせました。
8期生である自分たちの頃は確か97%程であったように記憶しています。
まあ、こんな数字や出身校などはどうでも良く、歯科医師免許を下附されてからどうゆう歯科医師になるかという事のほうが大切なわけで、保険でカバーしている筈の治療を300万、400万と法外な治療代を取っている金の猛者や、保険だからこれでイイと、なんともお粗末なレジン充填(ハナクソ充填)を平気でやっている歯科医もいます。
自分は間違ってもこんな歯科医師にはなりませんし、なれません。
診療ユニットに座っているのが患者さんである以上、自分に出来る限りの最高の治療をする、それしか考えていません。
大学入学後は芝茶屋の学生寮に入り、松本歯科大学自慢の素晴らしい自然環境と充実した施設でキャンパスライフが始まりました。
1,2年生の教養課程は、ドイツ語やラテン語に苦しめられ、2年の後期試験は なんと27教科(!)で、毎日毎日、何日も何日も試験でした。
解剖学で、筋、血管、神経の起始・停止・作用が覚えられず、病理学では毎回切片標本の細胞と格闘しましたが、なんとか乗り切りました(今思うと、丸暗記するのでは無く、理解すれば簡単に覚えられるのですが)。
3年になって専門課程が始まり、マネキン模型の歯を削ったり、歯型を採ったりという実習が始まると、毎日が楽しくてしょうがなかったのを思い出します。
楽しいことはスラスラと頭に入り、幸にも追再試験とは殆ど縁がありませんでしたので、追再試験期間中にふらっと帰省してみたら、親が驚くような晩御飯を食べていました(親の名誉のために詳しくは書きませんが)。
いつも定期休暇で帰省すると、ステーキ、すき焼き、お刺身などなど、御馳走を毎日腹一杯食べさせてくれて、それが当たり前だと思っていましたので、親の食べている御飯を見て、驚きのあまり「なにを喰ってんのや」と言うと、「今日は忙しかったもんで、晩飯を作る時間が無かったんや」とのこと。
その言葉を疑いもしませんでしたが、今思えば、自分たちの学費や仕送りで、本当にキツかったんだろうな、たいへんな苦労をかけていたんだなあ、と、つくづく思います。
歯医者というと、親が医者歯医者で、子供が幼い頃から月給を支給して(これは税法上認められていません)、子供が開業する頃には、何千万、何億円という貯金があって、借金などしなくても自己資金のみで開業できる、場合によっては、土地付き、診療所付き、スタッフ付き、患者付き、借金無し、という恵まれた状況でスタートする先生も数多くいます。
そうゆう人達を妬む気持ちは全くありませんが、自分が歯医者をして居る限り絶対に忘れられないのは、自分の飯を食わないで子供に食べさせてくれた親への感謝の気持ち、そして自分や兄の前で、苦しいとか、金が無いとか言ったことは1回も無く、まさに歯を食いしばって頑張ってくれた、そんな親を自分は絶対に粗末には出来ない、ということです。
ですから、親に対する一番の恩返しは、少しでも立派な歯科医になること、歯科医として成功すること(お金じゃありません)であると考えていますので、矯正歯科に関しては誰にも負けない、長野県と言えば ひろ矯正歯科、日本にヒロあり、と言われるよう、全力で走り続けます。
医者や歯医者は楽で高収入と思っている人が殆どだと思いますが、お医者さんの中には、こんなブログを書く人もおり(このブログはマズイと思います)、一般の人には想像もつかないような精神的・肉体的疲労と闘いながら私達医療人は生きているのですが、私はどんなに辛くても、どんなに苦しくても、辛いとか、辞めたいとか、愚痴や弱音を吐けません。
口が裂けても「オレは歯医者なんか なりたくなかったんだ」などと、親を崖から突き落とすような事は言えません(自分はそんなこと思ってもいませんが)。
「親」という字は、立、木、見という漢字から成ります。
我が子の帰りを心配して、立木に登って遠くを見る、という意味だそうです。
あと少しで、母の83回目の誕生日になります。
幸にも親が近くに居てくれるおかげで何時でも顔を見れますし、食事なども頻繁に誘うことが出来ます。
「親孝行 したい時には 親はなし」、死んでから「アレをしてやりたかった、コレもしてやりたかった」と泣いて後悔しても遅いです(縁起でも無いこと書くなと親に叱られそうですが)。
両親共にいつまでも元気で居て欲しいと思います。
昨年の忘年会は、松本の割烹 仙岳で行いました。
いつも忘年会の際に、私から「1年間のシメのお言葉」を言わせて頂きますが、昨年は「反省と後悔の違いは何か」ということについて、自分なりの考えをお話しさせて頂きました。
ネットや辞典で調べると、反省は次に繋がるが後悔は繋がらない、といったことが書かれていますが、自分の考え方は少し違います。
さて、何でしょう、、。
皆さんも御自身で考えてみて下さい。
おしまいに、忘年会の写真を少し、、。
ビンゴ大会の豪華景品!!
アルマーニのバッグをゲットした川端下君、嬉しくて泣いちゃいました、、。
仙岳のマスターと
久々に使わせて頂きましたが、やっぱ仙岳はイイですね。
今年の年末もお願いします。
忙しくても、不平不満を一切言わず、一生懸命働いてくれるスタッフ達。
自分の最高の宝物です。
ほんとうに有り難う。
これからも宜しくお願いします。