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院長日誌

学会・セミナー

  • 第9回 ESLO開催さる

    2010年7月7日〜11日、ロンドンにて舌側矯正専門の学会、 第9回 European Society of Lingual Orthodontics Meetingが開催されました。
    本学会から Key note Speakerとして最終日の Closing lectureを依頼されましたので、僭越ではございますが講演をさせて頂きました。
     
    また、ロンドンでは、第一回 World Board of Lingual Orthodonticsの試験が開催されました。
    私は、2005年にヨーロッパで最も権威のある矯正専門医試験、European Board of Orthodonticsを、Category 1の Growing caseも含めて全て舌側矯正で受験して合格しているため、2008年の Cannesでの ESLO meetingで、世界第1号の WBLO Trophyを ESLOの学会から公式に頂いています。
    ですから、今回の受験に際しては、「廣先生はもう貰ってるんだから、受ける必要ないじゃん、なんで受けるの?」と、国内外のたくさんの先生から言われ、ESLOの Presidentの Germain Becker先生も「Toshiは受けなくて良い」と言ってくれ、僕自身も全く同感でありました。
    今まで ESLOを world wideにしろと要求してきた人達が、今まで本気でそう願っていたなら、何故に、ESLOが Non Europeanである日本人に第1号を授与してくれた事を祝福しないのか、何故に「廣君は もう貰っているのだから、受けなくて良い」ではなくて、「もう一回受けろ」になるのでしょうか。
    さらに、EBOの categoryを、誰がどうゆう理由で modifyしたのか、何故に Category 7の Surgical treatmentが mandatoryなのかも、全く理解に苦しみます。
     
    納得いかないながらも、もし受けなかったら、「廣は受けなかった」ではなく、「廣は受けれなかった」と言われるでしょうから、意地で受けてやりました。
    試験の準備も、学会発表の準備も診療も、みんな誰かがやってくれて、自分は書類を出すだけ、原稿を読むだけ、、、だったら良いのですが、私にはそんなアソシエイトもいないので、診療も、学会の準備も、試験の準備も、全部自分でやらなければなりません。
    毎日朝から晩まで診療に追われ、診療後は疲れてクタクタ、夜はとてもそんなスタミナが無く、精神的にも体力的にも限界を超えていました。
    込み上げてくる怒りを抑えつつ、ここ半年間は毎日23時就寝、5時起床で、早朝に仕事をするという生活でなんとか準備を終えました。
    それでも、Closing lectureの Power pointを作り終えたのは、発表当日の2時間前(!)という、ギリギリでしたが。
     
    試験は、アジアから4人、ヨーロッパから4人、合計8名が受験しました。
    結果は、、、8名中、合格者は5名。
    私も合格しました。
    しかし、スッキリしません。
    問題山積のままです。

    これについては、またの機会に述べさせて頂きたいと思います。
     

    7月6日(火)
    ESLO Congressは、7月8日の木曜日から10日の日曜日まで、EBOなどの試験は通常、Congressの前に行われますので、普通に考えると、試験は7月6日、7日となります。
    試験の applicationを送った後、飛行機の予約をしなければならないので、日程を教えてくれと、何度も Dr.Scuzzoにメールしましたが、返事は梨の礫。
    飛行機が取れなくなっては一大事なので、学会の2日前に試験が行われると想定して月曜日の夜、ロンドンに入る航空券を購入しました。
    しかし、その後で貰った連絡では、試験は9日の金曜日、結果発表は10日の土曜日(学会と重なっている!)、とのことで、結局、6、7日は、まるっきり予定があいてしまいました。
    フライトを変更しようと思いましたが、ホテルの変更がきかなかったので、そのままの予定で日本を発ちました。
     
    成田からロンドンまでの機内では、一睡もせずにプレゼンの準備をしていたため、ホテル到着後、爆睡。
    夜中に目覚めては、また準備をして、また寝ての繰り返し。
    かなり疲れましたので、火曜日はホテルの近くを少しだけ散策し、昼食もホテルの近所で済ませ、また準備。
    その後は、ダブルデッカーの市内巡回バスに乗ってみました。


    Fish and Chipsと、Guinessです。
     

    トラファルガー広場の前には、ダブルデッカーがたくさん。

    乗って市内を少し回ってみましたが、、、うたた寝してしまいました。
    (バスの中などで寝るとスリに遭いますので、皆さんは気をつけてください。)
     

    7月7日(水)
    学会の準備もだいぶ進みましたので、この日は Oxfordまで半日観光に出掛けました。
    目的は、Harry Potterの舞台となった Ball roomに行くことです。
     
    Oxfordには、38もの Collegeと、6つのホールがあり、これらを総称して、Oxford Universityと言います。
    Oxfordは小さな町ですが、静かでとても良い町です。
    市の真ん中に、Christ Churchというのがあり、ここの Hallは、Harry Potterに使われています。
     

    これがあの Harry Potter で、みんなが食事をしたりする、あの大部屋です。
     


    ここは Harry達が ほうきに乗る練習をした、あの校庭です。
    Oxfordの市内を散策して、昼食はサンドイッチを買って食べ、バスでロンドンに戻って、9と3/4番線プラットフォームに行きました。
     

     
    その後、ホテルに帰ってまた準備です。
     

    7月8日(木)
    親友の Fernandoに電話をして、朝から学会に出掛けます。
     

    ここが会場の Queen Elizabeth II Conference Centerです。
    宿泊先の The Trafalgarから St. James’s Park 沿いに歩いて8分です。
     
    学会終了後、Dinnerは、ホテルの近所の Garfunkelというファミレスで、手羽先とビールで済ませ、夜はまた学会の準備です。
     

    7月9日(金)
    今日は、WBLOの試験の日です。
    重い重いトランクを引きずりながら会場まで行き、毎朝5時起きして仕上げたファイルを並べます。
    その後、試験官がやってきて、evaluationを開始しましたので、私たちは学会場に行き、講演を聞きます。

     
    その夜、Fernandoや Spainの友達と食事に行く予定でしたが、Examiner達と一緒に Dinnerに招かれました。
    「何故に僕も?」と聞くと、EBOを持っているからだとのこと。
    あまり気が進まないのですが、招待されて断るわけにもいかないので、御一緒させて頂きました。
    食事をしながら審査の結果について説明する Examinerの2人。
    何か意見は、とのことでしたので、自分の考えを率直に述べました。
    まず、今回の試験の結果は、明日の General assembly ではっきりと点数を告げて合否を発表し、Openにしなければならない、ということ。
    そして、今後の Board試験を行うにあたっては、examinerは WSLOにも ESLOにも属していない先生が務めるべきであるということ、等々。
     
    残念ながら、私の意見は全て却下され、余計な事を言うなといった感じでした。
    おかしい物をおかしい、ダメなものをダメと言って通らない、これがおかしい。
    こんなの 辞めてしまおうかな。
     
     
    Candidateの資料は学会内のガラスケースに展示されました。
     

    7月10日(土)
    朝から WBLOの集まり(EBO Lunchでなくて、WBLO Breakfast?)のため、Park Plaza Hotelに向かいます。
    Examinerから試験結果の発表や、次回直すべき点が説明されますが、不合格となった Candidateの中には、冷静さを失い、怒って帰る先生もいました。
     
    そのあと、学会場に戻り、講演の合間にたくさんの友達とお話をします。
    驚いたことに、Paris VのAlain Decker教授の御子息である Lionel Deckerさんが、ComiroというLaboratoryを立ち上げたそうです。
     
    Lionelさんとは初対面でしたが、お父さん同様、とても Friendlyで いい人でした。
    (Comiroとは、フランス語で「Hiroのような」という意味だそうです。そんな名前を付けて頂いて光栄です。)
     
    その夜は恒例、Gala Dinnerです。
     


    私は、Fernandoと同じテーブルを予約しました。

    同じテーブルに座っている人は、私と Fernando以外は全てドイツ人。
    World Cupでドイツはスペインに負けたので、Fernandoがスペイン人だと知ると、「おめえなんか、あっち行け!」と(勿論冗談です)、楽しいひとときでした。
    Dinnerも途中で、私はホテルに帰りました。
    まだプレゼンが完成していないので、、。
     

    7月11日(日)
    学会最終日です。
    私の出番、Closing Lectureの講演時間は、朝9時からですので、5時に起きて最後の準備をして、朝食を済ませて出掛けます。
    この日は、ロンドン市内はマラソンがあり、タクシー、バスなど、すべて止まっています。
    会場近くのホテルで良かった、、。
    歩いて行けない距離だったら、たいへんな事になるところでした。
     

     
    こうゆう事情なので、会場には人はまばらだろうなと思いましたが、、ところがどっこい、昨日の昼間よりたくさんの人が。
    本当に有り難いことです。
     


    講演も無事終わり、会場を後にします。

    会場前で涼んでいると、たくさんの人が話しかけてくれました。
     

    この美人の先生達は、現在 Paris Vでリンガルの勉強中だとのことです。
    この日本人の先生は、英語もフランス語も流暢で、英語もカタコトの私は、ただただ感心しました。
     

     
    次回のESLOは2012年、Frankfurtです。
     

  • DT.Massimo Piersanti and JLOA meeting

    SIDO から帰るとすぐに、ある一通のメールを受信しました。
    イタリアの Mr. Massimo Piersantiからです。
    イタリアで技工所をやっているが、SIDO での私の講演を聞いて感動したので、塩尻の私のオフィスまで来て、ラボを教えて欲しいというのです。
     
    数回のメールのやり取りで、いつもどおり No chargeで歓迎することにしたのですが、ちょうど3月に日本舌側矯正学会があるので、その時に合わせて来ることを勧めました。
    日本に来るのは初めてだということなので、折角来るなら、観光もしてゆきなよ、JLOAは大阪だから、Rail passを買ってきて、広島の原爆公園や厳島神社も見て行きなよと勧めました。
    京都・奈良は、来年 WSLOが大阪であるので、その際に行く機会があるでしょうから。
     
    いつもどおり松本での宿は東急インを紹介し、松本駅から広丘駅までの電車の乗り方も詳細に説明してあったので、3月18日の朝、時間通りに彼はひろ 矯正歯科に現れました。
    18日は、午前中にちょうど Indirect Bondingの患者さんと、Brace offの患者さんが入っていましたので、現在使用しているコアが如何に正確に位置づけることが出来、コアの除去も容易であるか、また、私のオリジナルプラ イヤーを使った装置撤去はどんな具合であるかを紹介しました。
     

    技工室にて
     

    晩御飯は、「かつ玄」で
     

    翌日は、ヒカリヤ東にて和食を頂きました。
     
    3日間、私のオフィスに滞在した後、土曜日は一緒に大阪に向かいました。
     

    大阪では、お決まりの「串の坊」に。小倉の瓜生先生も御招待しました。
     
    なんだかグルメ日誌のようになってきましたので、学会の話題に移りたいと思います。
     
    JLOAでは、5人の invited speakerを含む6題の演題発表がありました。
     
    最初の特別講演は、大阪で一般歯科を開業されている本多正明先生と韓国の Young Hoon Yun先生の共同発表、2題目は、六本木で ソフィア矯正歯科を開設されている島本和則先生、3題目は、竹元&Scuzzo先生の共同講演です。
     
    島本和則先生の講演は、先生がインディアナにいらっしゃった頃のお話を含めた50年間の回顧録で、大変興味深いお話でした。
    というのは、私の師である出口先生がJarabak awardを受賞された際に、私も Indiana Universityに私も呼んでいただき、リンガルについて講演をさせて頂いたからです。
    また、私の臨床ではIndian Cephalometricsを現在でも使用し、医局員時代には、Standard Edgewiseを用いて Burstone の Segmental Arch Techniqueで治療した患者さんもいますので、先生が当時苦労されたお話は大変興味深く、面白く拝聴することが出来ました。
     
    残念であったのは、本多先生のお話で、先生の日常臨床に於ける補綴のレベルが如何ほどのものかは存じませんが、講演中に「矯正の先生が○○を理解し てくれれば、、、」という言葉が 何度も何度も出てきたことです。
    全てのプログラムが終了後、最後の質疑応答の座長を私が務めさせて頂いたので、その際に、座長としてからではなく、いち矯正専門医として質問ではなく、お 願いをさせて頂きました。
    まず、矯正歯科治療は、その状態だけを見て治療の良し悪しを判断するのではなく、治療前の状態や治療途中の経過も考慮して頂きたいということ。なぜなら、 矯正治療終了時には、治療前の状態を考慮して、必ずしも他科的観点から評価した場合の Ideal occlusionに仕上げていないからです。
    治療前に下顎前歯が見えないほどの Deep Overbiteであれば、治療後は切端咬合で終わります。そのような場合には Anterior guidanceや Canine guidanceは確保されていません。
    また、II級症例に於いては、いわゆる Tweed finish、すなわち、上顎の7番を Distal tippingさせ、下顎の6の遠心辺縁隆線に、少し mesial tipさせた上顎の6番を引っかけるように仕上げるような事もあるということ、或いは、治療前に Openbiteであれば、finishは、かなり Deep Overbiteに仕上げる、等々。
    私たちは、「知らないから、出来ていない」のではなく、「知っていても5年、10年、20年という永い目で見て、そうしている」ということを理解して頂き たいと、質問ではなくてお願いをしました。
    もちろん、私は座長、先生は特別講演の演者ですので、失礼がないように、まず最初に賞賛し、ジョークをいれながら柔らかく申し上げたのですが、残念ながら 私の言っている意味を理解して頂けなかったようで、気分を害されたように見受けられました。
    私自身、矯正歯科専門に25年の歳月が経過し、患者さんの口腔内をより良い状態に持って行くには、矯正歯科単独でなく、時には歯周病医や補綴医とのチーム アプローチが必要であると痛感しておりますが、やはり矯正歯科の学会でお話をされる際には、矯正のことをもう少し理解して頂きたいと思いました。
     
    竹元 & Scuzzo先生は、いつもと同じ STbと LSWAのお話でしたが、質疑応答も終わらないうちに会場を去られたのでしょうか、おみえになりませんでした。
     
    時期 JLOAは11月3日です。
    皆様、ふるってご参加ください。

  • SIDO-ORTEC Conjunction International Congress

    The SIDOORTEC Conjunction International Congress was held in Rome on Nov. 5-7th.
    ( SIDO: Societa Italiana Di Ortodonzia, ORTEC: Tecnici Ortodontisti Italiani)
    I was invited by the congress to be a guest speaker, so I headed to Rome right after the conclusion of the JLOA meeting in Tokyo.
     

     
     
    I want to thank to Mr. Stefano Della Vecchia, Editor of ORTEC, for giving me the great opportunity to speak at this wonderful congress.
    He had been working for one of a Lingual Orthodontists in Rome for many years, and opened his own laboratory office in Rome.
     
    I do not remember when I met him for the first time, but I am sure that it was more than 10 years ago.
    When the ESLO meeting in Berlin was held on 2002, he had already offered me to hold a laboratory course in Italy; however, I had been prolonged it because of my constant overwork in my practice.
     
    Whenever I met him, he always offered me to come to Rome, over and over.
    Finally, I decided to accept his invitation.
     

     

    Nov. 4th.
    When I arrived at Rome International Airport, I easily found one of Stefano’s friends who had come to Fiumicino just to pick me up.
     

    In spite of heavy rain, he drove his Audi fast, and later I learned that he was a Rally Driver.
     

    During my stay in Rome, the congress reserved a room at the Cavalieri Hilton for me.
    Since I am a gold member of Hilton, they upgraded my room without any additional charges, and let me use the Executive Lounge, Spa, Fitness club and Breakfasts for free.
     

    It was very nice hotel, located in the middle hill, with a whole city view of Rome.
     

    Nov. 5th.
    Next day, I didn’t have anything scheduled, so I looked around the city.
     

    Musei Vaticani
     

    Castel S. Angelo
     

    I enjoyed a lunch at “Est! Est! Est!”, which is my favorite Italian restaurant, close to Termini.
     
    After the lunch, I visited the Auditorium to see Dr. Giuseppe Marra, Dr. Federico Dolci and Stefano.
    These two doctors would translate my lecture almost simultaneously.
    I showed them my presentations, and went back to the Cavalieri.
     

    Nov. 6th.

    This is the venue, Auditorium Parco della Musica.
     

    The congress was very crowded because SIDO is the biggest one in Italy, similar to JOS meeting in Japan.
     

    This is the room “Sala Petrassi” that I spoke.
    30 minutes before my turn.
     

    Taking pictures with “Italian cutes” before my lecture.
     
    The time allocated for my presentation was the entire morning of the last day, i.e. 9:15 to 12:30.
    I think everyone may think that a 3 hours lecture is quite long, however, it was only 3 hours because there were so many topics that I had to talk about, such as “ Unwelcome Rumor About Lingual treatment”.
     

     
    Following my brief introduction, I introduced clinical cases treated with several appliance such as Kurz, Creekmore, Lingual SWA, the first attempt of my original brackets, the most resent Hirobrackets, low teen case treated with Hirobrackets, STb, Incognito, and the case treated without brackets.
     
    After the clinical cases, I discussed about the situations of Dentists and Orthodontists in Japan, as I wrote in my blog about JLOA meeting.
    Then I explained the laboratory procedure of Hiro technique in detail.
     
    This is a schema of most resent Hiro technique.
    It is easy to make, not requiring any special tools or equipments.

     

    Close up of the Hiro technique.
    Because of Fermit’s elasticity, removal of resin cores after cure is quite easy for the current Hiro technique.
     

    This is a bad example.
    The Core is cut and the shoulders are lost (Red circle).
    It looks quite small difference, however, big difference in clinical use.
    Cores are no longer stable on the teeth.
    Even such small changes spoil the preciseness of Resin cores, and it is clear that if the cores don’t cover the Incisal edges or Occlusal surfaces, the most important parts for bracket placement, they can not provide precise bonding.
     
    Currently so many “Modified Hiro system” are used around the world, but I am sorry that most of them require quite complicated laboratory works with high cost, just for the purpose of making rebonding possible.
    In my practice, the average frequency of broken brackets is less than 4 times for each patients throughout her/his two years treatment, therefore spending too much time and costs are “A waste” .
     

    These are well known pictures of Hiro technique but they are modified.
    I have tried all of them but they are quite different from Original one.
    Compared with original cores, a lot of advantages are spoiled, especially for the Blue Core.
    It is made with Band Lok, and is so hard that we can not remove the cores after bonding brackets.
    Thermo-Grue core is thick, not good for crowding cases, and the material is not medical nor dental, .
     
    During my presentation, one of the congress attendants activated the fire alarm in order to disturb my lecture.
    Fortunately I had no problems for my lecture, and Budda knows who did it.
     
    After the 15 minutes coffee break, I introduced the movie of bonding procedure.
     
    For my concluding remarks, I emphasized that the Laboratory works play quite important roles in Lingual Orthodontics.
    We need Dental technicians, and they need us, too.
    Some Lingual Orthodontists recommend bonding brackets directly for easy case, but I never agree with this opinion.
    We must remember why the “Bottomed out” after few years of Lingual’s sensational Debut was happened in the in the States.
     

    When the congress was over, Stefano took me to a nice Italian restaurant for lunch.
    The owner was his friend, and they made Gnocchi specially just for me.
    It was so nice, and I will never forget the taste.
    The owner was a handsome guy, like a movie star, and I had a quite enjoyable time with Stefano, Giuseppe and Federico.
     
    After the Lunch, we walked to Piazza della Trinita dei Monti, and we met Dr. Lorenzo Favero and his son incidentally.

     

    Nov.7th.

    Just before checking out, Stefano came to Hilton with his wife.
     

    Again I want to thank Stefano, all of my friends, Orthodontists and Dental Technicians who came to my room and listened to my presentations.
    As I said in my presentation, I welcome all of you to visit my office to master the Laboratory procedures of the Hiro technique.
    Please remember that using Hiro technique is free to everyone, and it is not necessary to pay anyone, including myself.
    If you want to come, please do not hesitate to contact me.
     
    I hope to see you again.

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