第65回日本矯正歯科学会が札幌のコンベンションセンターにて開催されました。
会場の札幌コンベンションセンター
慰安旅行の頁に書いてあるとおり、ChicagoのAAO以来、スタッフの学会参加はなく、国内外の学会にはずっと自分一人で参加してきましたが、今回はDental Hygienistの2人が参加を希望したので、一緒に参加してきました。
本大会ではEBOの報告を学術展示で行うと共に、先日行われた専門医試験に合格しましたので、治療記録の展示を行ってきました。
9月13日 移動日
[1つ目のハプニング]
信州松本空港から千歳空港に直行便が出ているので、便利と言えば便利ですが、、、大事な学会のスケジュールに飛ぶか飛ばないかその時になってみないとわからないような移動手段を組み込むのは危険です。いろいろと他の方法を種々検討しましたが、結局、飛ばなければ車で羽田まで走ってそこから札幌に向かう、ということでスケジュールを立てました。
14時15分頃、札幌発の機材が松本上空で旋回をしています。
「降りれるかな、、、無理だろうな、この天気じゃ、、、絶対に無理だ。」
ところが、神は私たちに味方してくれました。
悪天候の中、何とか日航機は松本空港に着陸し、私たちは無事、札幌に向かう事が出来ました。
約1時間10分で無事千歳空港に到着、松本は大変な雨でしたが、札幌は晴天です。
電車、タクシーを乗り継ぎ、宿泊先であるホテルクラビー札幌に到着します。
[2つ目のハプニング]
自分がまずチェックインを済ませると、ウエルカムドリンクの券をくれました。
食事の時間までまだ2時間もあるので、まずはビールで乾杯をしてから食事に行きましょうか、とDHの2人に、、、ところが、彼女たちの部屋が取れていない、、。
「お名前が見つかりません」とのこと。
そんな馬鹿な、と思い、焦ってPCを起動して予約確認のメールを見せる。
絶対にそんな事は無いはずだ、僕は自分でちゃんと予約した、、、筈なんだけどなあ、、。
予約係の責任者の人にも、フロントの人にもメールを見せて、宿泊者の名前を見せて説明するが、いくら説明しても埒があかない。
しょうがないので、タウンページを借りて、札幌中のホテルに片っ端から電話するが、日本矯正歯科学会のため、どこのホテルも全て満室。
ここなら空いている気がする、と、虫の知らせで札幌ガーデンパレスに電話。
すると、ビンゴ! 本日のみツイン一部屋のみ空いているとの事。
早速予約してDHの2人が移動します。
空港からホテルクラビーに着いたのは4時半、その時すでに6時半ですから、2時間のタイムロスです。
7時からサッポロファクトリーで食事会があるというのに、、、。
待つ事30分、2人が戻ってきて、サッポロファクトリーに急ぎます。
札幌ファクトリーです。
夜の札幌を少しブラついて12時少し前、帰ろうと思ってタクシーを待っていると、うちのDHから電話があり、な、な、何と、クラビーに予約が取れていたとのこと!
フロントマンと予約係が見落としていたとのこと!
あれだけ何度も宿泊者の名前を言って確認したのに、なんたる事だ!
クラビーに戻って、フロントに一言、「勘弁してちょ」。
9月14日 学会初日
本日は朝から学会です。
今日は専門医試験に合格した人は、資料を展示しなければなりません。
今回専門医試験を受験したのは250余名、合格者は156名でした。
長野県の開業医では長野市の堀内先生と自分の2人のみでした。
これを嬉しいと考えるか、残念だと考えるか、、、複雑な気分です。
学術展示の準備もあるので、物凄い荷物です。
準備も大変で、終わったら汗だくです。
DHの2人に手伝ってもらって展示を終えて、口演の時間を再度チェックして、その合間を縫って学術展示を全てチェックします。
たくさん人が来てくれるかな、、。
1日がアッと言う間に終わり、専門医の資料を片づけに向かいます。
その日の夜は新潟大のOBの石井先生が食事に招いて下さっているので、着替えて急いで向かいます。
これが、地元の製薬会社の人に教えて貰った店だそうで、超美味しかったです。
★三つ、頂きました!
このお店でも、その後の喫茶店でも御馳走になってしまい、申し訳ありませんでした。
石井先生と山崎先生と、K先生と。
9月15日 学会2日目
今日は学会最終日です。
朝早く起きて食事を済ませ、会場に向かいます。
臨床セミナーでは、出口徹先生のMIA、井川先生のPsycho-dentistryの講演を聞きます。
出口先生といえば、あのIndianaで御一緒させて頂いた、恩師出口教授の御子息です。
歯根吸収についてもきちんと考察を加えられました。最も大きいのが遺伝的要因で、吸収のタイミングはレベリングの際。heavy forceに起因する歯根吸収は、space closingなどの際に見られる、とのことでした。 何だかホッとしました。
井川先生の講演も素晴らしく、久しぶりにたいへん感銘を受けました。
井川先生の講演です。
12時30分から13時30分は、学術展示の奇数番号の質疑応答ですので、自分のパネルに向かいます。
学会中、ポスターが剥がれていないか、模型が散乱していないか、時々チェックに行きましたが、常にたくさんの人がファイルを見ておられてホッとしました。
盛況、盛況。
[そして3つ目のハプニング]
質疑応答で何人かの先生から EBOならびに裏側からの治療の術式等について質問があり、説明していました。
これはですね、、。
皆さん、真剣に見ておられました。
大臼歯にもバンドは使っては いけません。
バンドを巻くとですねえ、、。
先生方と話をしていると、藤田欣也先生がお見えになりました。
質問を記したコピーを渡され、記入して郵送するようにとのこと。
「イヤです」と、お断り申し上げました。
「じゃ、今、答えてくれますか」とのこと。
まずは「リンガルブラケット矯正法」という語句について説明をとのこと。
「これは今回、日矯事務局から用語についての指示があり、それに従ったまでです。先生も同様の発表をしていらっしゃるんですから、日矯から連絡が行っており、当然御存知でしょう」と申し上げると、「知らされていない」とのこと。
次に「マッシュルームアーチを使われていますか」と尋ねられ、「当然です。何か問題が?」と返答、「特許の話なら、20年で特許権は消失しているでしょう」と申し上げると、「特許は20年で切れても、用語に対する知的財産所有権は50年間生きているんだ」とおっしゃる。
そこから押し問答が続き、藤田先生が自分の聞いている事に答えないまま立ち去ろうとするので、「逃げるんですか?」と申し上げると、「誰が逃げるか!」と、かなりお怒りです。
自分は何もやましい事もないし、間違ってはいない、謝る必要もないと思ったので、そのような対応を取りましたが、回りは黒山の人だかりです。
5分後、質疑応答の時間が過ぎたので退席し、藤田先生が廊下にいらっしゃったので、もう一度お話をします。
「藤田先生、あれは僕が卒業して矯正科に残って間がない頃、おそらく87年頃だったでしょうか、ある日曜日の朝、嫁さんが新聞を読んでいて、『フジタメソッド。歯の裏側に矯正の装置を付けるので装置が全く見えないんだって、すごいね、知ってた?』というので、この時は本当に『世の中には、なんてすごい人がいるんだ。一体全体、どうしたらそんな事を思いつくんだろう、、』と感動したのを昨日の事のように覚えています。藤田先生が舌側に装置を装着する方法を考案されたのが70年代初頭、歯科矯正学の歴史上、今までいろんな発明があり、いろんな人が名前を残していますが、藤田先生ほどの新旋風を起こした人はいません。正直な話、僕は毎日治療しているマルチブラケットを考案した人の名前は知りませんが、リンガルを発明したのは藤田先生だと知っています。世界中の人がそれを知っているのに、先生はなぜそこまでされるんですか。もうやめてください。先生がそうゆう事をしてもしなくても、リンガルの考案者は藤田欣也だということは動かしようのない事実であり、世界中の誰もが知っているんです。」と申し上げました。そうしたらスフェリカルアマルガムにまつわる話から、今までつらい思いをされた沢山の事を話して下さいました。
「先生の仰る事はよーくわかりますが、僕個人のお願いとしては、目をつぶって頂きたい。来年もリンガル関連の発表が沢山あると思いますが、お願いですから、来年1度だけ我慢して、リンガルの展示の前にいつものように現れて、何も言わずにニコッと笑って立ち去って下さい」と、お願い申し上げました。
藤田先生がおっしゃるには、「舌側矯正という4文字がどうしても我慢出来ない」とのことでしたが、自分流に解釈して、藤田先生をそこまで怒らしめたのは、藤田先生に感謝をするどころか、足蹴にしてきた日本の一部の先生達が原因ではないかと思います。
今後、自分は日本で発表する場合、日本語は学会の指示する語句を使用しなければなりませんが、英訳に関してはは「Lingual Orthodontics」ではなくて「Fujita Method」と表記したいと思います。これは藤田先生に対するこびへつらいではなく、舌側にブラケットを付けて治療する全ての方法を「フジタメソッド」の範疇としてとらえ、その中にいろんな先生のテクニックがある、「リンガル」という言葉も、フジタメソッドの中のリンガルと考えるのが妥当ではないかと思いました。
自分もRCIBSに関する特許を持っていますが、ちょっと変えただけで●●IBSと命名して自分の特許だと称し、業として使っている者や、僕が自作で作ったプライヤーやインスツルメントを見せたら勝手にコピーをして販売している者もいて、本当に腹立たしい思いをしているので、藤田先生のおっしゃる事は本当に我が事のように良く分かります。
こうゆう事を平気でする人がいる限り、一番馬鹿を見るのは考案者です。
頭に来るのはわかりますが、でも僕は藤田先生には我慢をして下さいとお願い申し上げます。
僕のような未熟な人間でさえ我慢しているのですから。
藤田欣也先生と記念撮影です。 先生とお話が出来て良かったです。
3時に展示を撤収し、学会場を後にします。
松本行きの飛行機は1日1便、明日の昼の便で帰るので、今日はスタッフを連れて小樽に向かいます。
いつも頑張ってくれているので、少しサービスです。
三角市場で まずは腹ごしらえです。
ウニイクラ丼と、鮭いくらの親子丼
ああ、しあわせ、、。
小樽運河です。いつ来てもきれいだな、、。
9月16日 移動日
早く起きて食事をすませ、飛行機の時間まで市内観光です。
北大のイチョウ並木、ポプラ並木、クラーク博士像、赤煉瓦の旧庁舎、時計台を見て空港に向かいます。
来年の日矯は大阪で開催の予定です。
北大のポプラ並木で記念撮影
青年よ、大志を抱け
旧北海道庁です。
追記:今から10年ほど前、自分はJLOAすなわち日本舌側矯正学術会に入会しました。ちょうど、地下鉄サリン事件のあの日です。 入会して以来、ずっと出席せず幽霊会員でしたが、3年ほど前からでしょうか、会で話をする機会を与えて頂きましたので、それ以後、会の先生方にも会いたくて、時々顔を出させて頂いてきました。 毎回理事会のたびに いろいろと揉めています。 揉めている内容がおかしい。自分はおかしい事はおかしいと、誰に対しても、いつもはっきりと申し上げてきました。 言いたい事があるのにイジメられるのがイヤだから、と黙っている人が多いですが、それは卑怯だと思います。 自分の事だけを考えているならば黙っていれば良いし、理事を辞めてただの会員として受け身でいれば良い。 僕は会での自分の立場よりも、今、世界で日本のリンガルの先生達がどうゆう位置にいるのか、今後のJLOAの発展や、リンガルそのものの将来の発展性を考えると、余計にスジの通らない事は正しておかなければならないと思い、今まで率直に意見を述べて来ました。 BrusselsのESLOで、外国の先生達がJLOAの事を何と評していたか、御存知でしょうか? でも、いつの日にか、会の中では「廣はうるさい」、「お前が一番うるさい」と言われるようになり、14日は「今日の理事会はお前が来なくて良かった、来てたらもっと揉めてた」と言われました。 「そうですねー、僕が行っていたら火に油を注いでいたでしょうね」と笑って切り返しましたが、冗談じゃないです。 誰が好きこのんで喧嘩するでしょうか。 自分の限られた時間を今後はもっと有意義な事に使い、自分のエネルギーをもっと有効に使いたいので、僕は本日をもって日本舌側矯正学術会を退会します。
9月19日、追記
たくさんの先生から考え直せとお電話を頂いております。 ありがとうございます。 折角ですが、今のところ、そのつもりはありません。
歯科関係者以外の方がこの頁を御覧になったら、廣ってヤバイ人? と驚かれるかと思いますが、事情の分かっている先生なら、なるほど、と御理解頂けると思います。 僕は決して滅茶苦茶な歯科医ではありませんので、患者さんの皆さんはご安心ください。
9月26日、追記
今、自分が辞めると、会長の居波先生に多大な迷惑がかかるから、もう少し待て、ということです。 ナスジの通らない話ではありますが、一旦保留ということでお返事申し上げました。
6月3日~7日、アムステルダムの RAI Conference & Exhibition Centre で 第81回 European Orthodontic Society Annual Meetingが開催されました。
学会の前々日、前日と、ヨーロッパの矯正専門医の試験である European Board of Orthodontistsが行われ、私は全て舌側矯正で受験し、合格しました。
舌側矯正での受験・合格は世界初です。
世間では舌側矯正のことを「治療期間が長く、ちゃんと治らない」と悪く言いますが、これは出来ない先生が言っていることで、事実は異なります。
私は、舌側矯正の治療結果を自画自賛し、自己満足にひたるではなく、治療結果を公的機関に第三者評価をして貰うことが必要であると考え、今回この試験に全て舌側矯正で挑戦しました。
この試験はヨーロッパの矯正専門医のための試験ですが、ヨーロッパ全域でも合格している先生は僅か66名と、非常に難しい試験です。
自分は2003年に英国矯正歯科認定医試験(M-ortho RCSEd)に合格しているので受験資格があり、今回、恩師の出口先生に勧められて受験しました。
試験は学会の定めたカテゴリー別に Treatment Recordを8例用意してプレゼンテーションを行い、Examinerが Candidateの治療のクオリティを評価します。さらに Examinerの用意した患者資料2例を自分で診断し、治療方針を立て、それについて口頭試問が行われます。
歯医者というと「楽で高収入」と思っている人が多いですが(そうゆう先生もいますが)、実際には肉体的にも精神的にも本当に重労働で、家に帰ると晩飯を食べながら眠ってしまうこともあるのです。
今回、European Board of Orthodontistsを受験するのは本当に過酷で、受験のための準備に何ヶ月間も毎日毎日、朝はスタッフのみんなが出勤する前から、夜は明け方まで受験準備です。
毎日毎日、診療だけでもクタクタになるのに、それに加えてのオーバーワークですから、本当にキツくて、何度か挫折しかけましたが、何とかやり通すことが出来ました。
学会発表の準備などをしていると、いつも「もう今回で最後にしよう」と思うのですが、毎年毎年、新しい目標が出てくるので、一生死ぬまでこうゆう生活かも知れません。でも、勉強しないと迷惑するのは患者さん達ですから、医療人として当然の生き方であると思います。
いざ、試験が始まりました。
2症例を60分で分析、診断をします。
試験は完全に匿名で行われ、Candidateは名前など一切記載せずに、公平な審査が行われます。
1例目はClass II div.2の症例。
試問が始まり、現症を説明しますが、2人の試験官はいずれも、入って来て握手をしてから、「Start it!」と言ったきり、ニコリともしない。
「うっ、まずい雰囲気だ、、、」と思いながらも、自分の立てた診断、治療方針、その理由等々について説明する。
第一症例は、普通なら「抜歯」と判断しそうなところだが、まず患者さんの Hand Wrist(左手の写真)を撮り、Growth potentialがあるならば、非抜歯で治療すると主張。
説明している間も、試験官は2人とも黙ったまま、何の反応もなし、、、かまわずに続ける。
2症例目は Skeletal IIIの Adult caseで、治療方針を2つ立案して説明。
「外科矯正だが、もしも患者さんが手術を受け入れなかったら、こうゆうふうに治療する」と説明。
試験官は、「そのとおりだ、これは外科症例だ」と、同意するが、2つ目の「もしも患者さんがオペを受け入れなかったら」という治療方針については首を横に振り、「It is not possible.」を繰り返す。
でも、自分は同様の症例をすでに治療して、良好な結果を得ているので、「出来る」と主張する。
Examiner VS Candidateは、Teacher VS Studentではないのだから、自分の主張を曲げるべきではない(と思う)。
「ここに MIAを打って、下顎の臼歯をこうゆうふうにUp rightすると Mandibleが Clockwise rotationするので、こうして、こうして治療する」と、治療のメカニクスを説明するが、聞く耳持たず。
何度も何度も「It is not possible.」を繰り返すので、
「I’m sure it is possible. I have a quite similar case, and obtained a satisfactory result. I would show you my case if you give me a chance to show it.」と言ってやった。
でも喧嘩ではないので、きちんと挨拶をし、握手をして部屋を後にした。
ACTAのロビーには歴史的なデンタルチェアーが展示してあります。
矯正歯科のエレベーター横には、矯正歯科学の歴史が。これは指しゃぶり防止用の指サックでしょうか。
これは Simonの顎態診断法でしょうか。
エレベーター横には、歯ブラシやフロスなどの自販機があります。
その日の午後はフリーなので、他の先生達と昼食を兼ねて市内観光に出かけます。
アムステルダム名物の風車です。
市内には縦横に運河が流れており、とてもロマンチックです。
6ユーロほどで キャナル・クルーズが楽しめます。
翌日、結果発表のため、RAIのEBOデスクに向かう。
封筒を開けてみると、
“We are pleased to inform you that you were successful in the Examination,,,”
やった!
今回、日本からのapplyは、出口教授、黒田先生、橋場先生、そして僕の計4名で、全員合格。
過去には、三村先生、正木先生、嘉ノ海先生、高木先生が受験して合格している。
今回の合格者を入れると日本人は8名合格、日本人の合格率は100%(!) というと、簡単な試験のように聞こえるでしょうが、とんでもない。
言語のハンディの無いヨーロッパの先生たち(自国語で受験出来る)でさえ、今回6人applyして、2人はリタイア、2人は不合格、合格は2人ですからきびしい試験なのです。
合格通知です! やった!!
合格者は試験に提出したファイルを学会場に展示することが決まっているので、ホテルに戻って資料を持って再び学会場に。
展示を終えて、昼前には学会のメインホールで合格証書の授与式です。
お昼は近くのイタリアンレストランで済ませ、再び学会場に。
親友のDr.Weichmannの口演を聴いて、出てきた彼と話そうと、、すると、僕の顔を見るなり、駆け寄ってきて
“Toshi!! I saw your EBO cases! You are the first people who submitted all 8 cases treated with Lingual Orthodontics, and passed it! It’s incredible! Congratulations!!” と我が事のように喜んでくれる。
彼の住むBad Essenからは会場まで車で2時間。
納車されたばかりの最新型のフェラーリF430でカッ飛んで来たとのこと。
うらやましいなあ、、。
EOS学会会場に資料を展示。僕のファイルを見るのに行列が出来る事も。へへへ。
その夜はConvention Factoryにて、カクテル・パーティ。
会場に入ってワインを飲んでいると、ESLOで顔見知りのドイツの先生達が声をかけてくれる。
「Toshi, お前のファイルを見たぞ!全部リンガルじゃないか!!すごいぞ!歴史に残るぞ!」
と我が事のように喜んでくれる。
和気藹々楽しく飲んでいると、近くに Examinerの1人がいるのを発見。
向こうも僕の存在に気付いているようなので、話しかけてみる。
名前がわからないので、とりあえず握手をして、御礼を言い、一通りの挨拶を。
で、得意のジョーク、
“Excuse me, Dr. Iceman, are you a,,,,”
と話しかける。
すると「ドクター・アイスマンってのは誰だ?」と、回りを見回すので、思い切り指を指して
「あんたや、あんた。だって試験の時、入ってきてから出てゆくまで、1度もニコリともしなかったじゃないか!僕が何を言っても、微笑みかけても無反応で、氷のように冷たい表情だったから、あんたはドクター・アイスマンだ!!」
と言ってやった。
そうしたら大爆笑して、
「いやいや、違うんだ、口頭試問の前に俺たち試験官は、お前のファイルを見たんだ。そしたら8症例全部リンガルだから、大騒ぎになったんだ。 な、な、何だ?? 一体どんな奴が試験を受けに来ているんだって。 あの時は俺たちが逆に緊張していたんだ!!」
とのこと。
ま、そこまで言われると嬉しい限りですが、まあ半分は社交辞令だろうと受けとめ、ワイン片手に話を続けます。
趣味の事、矯正の事などを話していても「お前は矯正歯科医というより、アーティストだ!」と、あまりにも褒めてくれるので、
「僕はアーティストなんかじゃないよ、20年間、精一杯勉強し続けているけど、いまだに矯正歯科は僕には難しくて仕方がないよ。ただ、僕は頭が悪くて普通の人の半分しか働かない分、神が人より少しよく働く右手を与えてくれたんだよ。」
と話すが、納得して貰えたかな?
何はともあれ、今回も頑張った甲斐があった。
黒い上着を着ているのが試験官の一人の Dr.Moser、僕の左側にいるのが Dr.Moss.
みんないい先生ばかりです。
自分の地位名誉の事ばかり考え、人の邪魔をするような先生は、ここにはいません。
翌日、EBO Lunchに出席。
このランチは EBOのExaminerと歴代合格者、New memberだけのランチで、私たち、New memberはランチの際に自己紹介をして、バッチを授与されました。
バッジの授与です。
なかなかバッジが通らず、「これを通すのは、リンガルのように難しい、、」と笑う先生。
“Congratulations!”
“Thank you very much!”
ExaminerやEBO memberに自己紹介をします。
7日は旅立つ日です。
飛行機は夜発なので、この日だけ、やっと半日観光が出来ました。
Canal cruseに、Lemblandt Houseに、と、いつものとおり、歩きまくりました。
アムステルダムのロマンチックな街並み
Canal Cruiseに tryしてみました。
クロケットとホワイトビール。
このクロケットがメチャメチャ美味しかった。もちろんビールも。
いつもどおり、明日からまた患者さんがギッシリ入っています。
勤務医がいれば楽なんですが、今のところ、自分一人で頑固一徹な治療を行っています。
それがひろ矯正歯科に来てくれる患者さん達にとってベストだと信じています。
11月14-16日 香港にてM-Orth RCSEd/CDSHK conjoint examinationが行われました。
正式には、Membership in Orthodontics of the Royal College of Surgeons of Edinburgh / The College of Dental Surgeons of Hong Kong と言います。
日本ではM-Orthというのはあまり知られていませんが、オーストラリアやヨーロッパの矯正専門医の先生方の間では、持っていれば必ず名刺の肩書きに書いてある権威あるものです。
今回は日本からのcandidate3名を含め、総勢17名でした(そのうち7名は大学のProfessor !!)。
飛行機はいつものごとくJALの悟空21、エコノミーで1人名古屋空港をあとにしました。
香港国際空港から市内までは、Airport Expressにて移動。市内まで90HK$。
安くて速くて綺麗です。
日本のNaritaなどを考えると恥かしい限りです。日本は真剣に考えないと、絶対に世界に置いて行かれます。
この試験はPart I と Part IIからなり、Part I exam. は Basic dental sciences に関する Multiple Choice Question paper と Multiple Short Answer questions が3時間、さらにHuman diseaseを含んだ Typical basic dental problems に関するClinical examinationが60分、さらに 上記のM.S.A.と矯正臨床についての Oral exam.が 30分間行われます。
これら一般歯科についての試験は、「矯正専門医は矯正の事だけしかわからない、というのでは、優れた矯正治療は出来ない。一般歯科の知識についても、秀でていなければならない」という考えのもとに設定されております。
Part II exam. は
の5つから成ります。
Part I exam. のEquivalentを有する Candidatesは、Part I exam. は免除されます。
自分はPh.Dを持っているために Part II のみを受験しました。
第1日目
Hong Kong島のAberdeenにあるHong Kong Academy of Medicine で行われました。
会場に到着すると、香港大学のcandidatesがすでに来ているので、暫く話していると恐ろしく英語が Fluentな彼女がいる。
もともとイギリス領であったホンコニーズの英語は抜きんでているが、話すスピードといい、発音といい、文法と言い、香港人の英語とは明らかに違う、、。
聞いてみると、ロンドンで生まれて、数年前に両親が香港に転居したので、現在香港大学で勉強しているとのこと、、
ヒエ~~ッ!!
かの有名な北京大学の矯正科の先生達や上海第2医科大学の矯正科の教授などもいる、、。
こんな人達と一緒に試験を受けるのかと思うと、だんだんビビってきました、、、。
もっと勉強してくれば良かった、、、。
暫くすると、examinerの先生方がお見えになり、Candidate No.の指示に従って自分の治療したFileを提出。
自分は5症例すべて舌側矯正で治療したrecordを並べる、、、フ、フ、フっ。
午前中は、矯正歯科一般に関するWritten exam. が3時間行われますが、大学のprofessor達と日本のPh.Dを持っている者はwritten examは免除ということになり、午前中はフリータイムに。
フリータイムを使って勉強しようにも、落ち着かないので外に出かけることにしました。
こうゆう事はマカセテおくれ。
そう言えば、ここに来る途中に Floating restaurantの看板があった。
気になっていたんですよ。
タクシーに乗ってワンメーター走ると、目的のレストランを見つける。
本当に浮いている。
船だ!!
そこまでは連絡船で行くらしい。
迷わず連絡船に飛び乗り、昼食を食べました。
安くて美味しかった、、。
満腹の腹を抱えて、タクシーを拾って試験場に戻ります。
午後は自分の治療したファイルを見ながらの Oral Exam.
1人の先生の英語はほぼ100%理解出来て答えられたが、もう1人のイギリス人らしき人の英語がイマイチよくわからない、、、。
英語と米語はこんなに違うのか、、ただ単に僕の英語力が足りないのか、、、と、唖然としながら、examinar の質問の内容をこちらからもう一度 repeatしてから答える。30分がアッと言う間でした。
第2日目
会場は、同じくHong Kong Academy of Medicine。
この日の午前中は矯正歯科のあらゆる項目についての口頭試問。
自分の番が近づくにつれて心臓が暴れる、、。
何本か缶コーヒーを飲んで気を紛らわしていると、”Candidate Number 13 !” と呼ばれ、いざ出陣。
幸いにも試験官の1人は、昨日の英語が分かりやすかった先生。
ホッとしたのも束の間、歯科理工学に関することから、病理組織学に関すること、解剖学に関すること、成長予測に関することやら、矯正学の歴史に関することまで、難問が機関銃のように飛び出す、、、
ひえ~~っ!!
なんとか無事に答え、午前中は終了。
お昼は再び昨日のFloating restaurantに。
昨日と違うものを食べるが、安くて美味しい~~。
試験中とあって、ビールが飲めないのがつらい、、。
午後は臨床試験。用意されたRecordを見る時間が10分、それについてのOral exam.が10分。3症例なので、計60分。
これもまた難しい問題ばかりを集めてくれましたが、何とかクリアしたという手応えはアリ。
第3日目
いよいよ最終日。
今日の試験は Prince Philip Dental Hospitalの矯正科で、実際の患者さんを使って行われる。
Prince Philip Dental Hospitalの矯正科
5分間患者さんを診査したり、資料を見る時間を与えられ、計30分間で2人診た後、別室に案内され、口頭試問。
自分の担当試験官は、M-Orth 試験の最高責任者である Edinburgh 大学の McDnald 先生と北京大学のZeng Xiang-Long 教授。
プレッシャーを感じつつも、感動したのは2人ともすごくにこやかで、笑顔を絶やさない。
聞き方も優しい。
Gentleとはこの事を言うんだなあ、と、これだけでも得るものあり!
試問には無事答えることが出来て、試験終了!
3時半に合否の発表があり、会場に来てみると、先生方がみんな優しく、笑顔で合格者を迎えてくれて、一人一人握手してくれる。
なんだか込み上げてくるものがあり、もう少しで泣いちゃうところでした。
そう言えば、こんな試験、もう何年も受けていないもんなあ、、。
毎晩2時まで頑張ってよかった!!
その夜は Cocktail party と Dinner が Hong Kong Country Clubで行われた。
examinarの先生方とワインを片手に話し合い、盛り上がった。何人もの examinarが、自分の提出した舌側矯正の治療結果は素晴らしいものだった、と言ってくれると、本当に嬉しかった。
途中、何度かめげそうになったけど、頑張って本当に良かった!!
最後に、受験にあたり自分を推薦してくださった恩師の出口先生、本当にありがとうございました。