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院長日誌

  • 2014/06/02

    「恩師」

    みなさんには、「恩師」は何人くらいいるでしょうか?
    小・中学校の同窓会には、当時の先生達は「恩師」として出席されていますし、実際に恩師である事に違いはありません。
    私にとって「恩師」というのは、勉学を教えてくれた先生だけで無く、もっと広義で捉えていますので、私の恩師は本当にたくさんいます。
    私は歯科大学を卒業してからすぐに矯正科の医局に入局しましたので、矯正学講座の教授である出口敏雄先生は恩師の筆頭であり、今もたいへん御世話になっています。

    一方では、個人的な交流は一切無しで、教授と一学生以上の付き合いは無かったけれども、間違いなく私自身の人生に大きな影響を与えた「恩師」がいます。
    そのお方は、橋本京一先生、私が学生時代、補綴学第1講座の教授であらせられ、講義や基礎実習、臨床実習などで御世話になりました。

     

     


    私が卒業した当時の補綴科診療室で指導をされる橋本先生(卒業アルバムから)

     

    今から35年前、歯科医師を志して松本歯科大学に入学し、専門課程が始まると、授業が楽しくて仕方が無かった毎日。
    私達の学生時代には、大学に「名物教授」が何人もいらっしゃって、この先生の授業を受けられる、この先生から教われるということが、どれほど有り難い事かと、胸を弾ませて一生懸命勉強をしたのが昨日の事のように思います。

    橋本先生は、その名物教授の中の1人で、当時は、学生も補綴科の医局の先生達も、橋本先生のことを「コワイ」と言っていましたが、私自身は記憶の限りでは今まで橋本先生の事を「コワイ先生」と思ったことは無く、むしろ、「自分はこうありたい」、「歯科医師は かくあるべき」と、自分の理想の歯科医師像として、人間としての憧れを抱いていました。
    「コワイ先生」と評されたのは、私が思うに、橋本先生は全てに対して、ものすごく厳格な先生であるからだと思います。

    いい加減な事や、妥協を許さない。
    橋本先生は、何故に全てのことに一切妥協をしないで、そこまで厳格に生きられるのか。
    それは、「常に自分に対して一番厳格であるから」だと、私は思っています。
    橋本先生が仰る事は、全てスジが通っており、肯定するにも否定するにも、必ずそれを裏打ちする理論と理由が存在しています。

     


    私が卒業した当時の橋本先生(卒業アルバムから)

     


    私が卒業した当時の補綴学講座(卒業アルバムから)

     

    学生当時、私は大学を卒業したら dentureか矯正のスペシャリストになろうと決めていました。
    いろいろな理由で出口教室に入局しましたので、橋本先生とは特に交流を持つ機会も無く、何年もの歳月が流れました。
    ところが最近、Facebookで橋本先生とお近づきになることが出来、橋本杯ゴルフコンペを計画したり(荒天のため中止になりましたが)、メールでやり取りが出来る状況となりました。

    先生は歯科大のゴルフ部の顧問をされていましたが、自分はゴルフ部でもなかったし、先生は覚えていらっしゃらないだろうなと思っていたのですが、先生から松本歯科大学の観桜会で塩尻に行くので会えますか、とメールを頂き、私は大喜びで ひろ矯正歯科の診療室にお越し頂きました。

     


    私が卒業した当時のゴルフ部(卒業アルバムから)

     

    お会いして驚いたのは、先生は私の学生時代の頃のまま 35年間、全く変わること無く、とてもお元気でいらっしゃり、御自分で車を運転していらっしゃいました。

    今も現役で歯科医師として診療をしていらっしゃるだけでなく、講演活動も活発に行われていらっしゃいます。
    東京に講演に行かれる際にも、名古屋から御自分で車を運転されて行かれるということは FBで読んで知ってはいましたが、凄すぎる、の一言です。

    ひろ矯正歯科の中を一通り御覧頂いた後、先生はプロジェクターとパワーポイントを使って、私一人のために3時間程の講義をして下さいました。
    その講義たるや、まさに学生時代に教わった「橋本教授」そのもので、35年前の事だけでなく、先生が戦争に行かれた頃の写真や、当時の医学的状況はじめ、いろんな事をまさに昨日の事のように、はっきりと覚えていらっしゃっいました。

     

    レクチャー以外にも、とても大切なことをいくつか教えて下さいました。
    例えば「廣先生、手を拭くのにペーパータオルを何枚使いますか? 2枚使っていますよね? 手を洗った後、手をこうやって10回振って水を切ってから拭くと、1枚で済みます。そして、拭いたペーパータオルは、ゴルフボールくらいの大きさに丸めて捨てると、ゴミの量が何分の1かになります。」といったような事です。
    このような事を言うと、「五月蠅い」とか「ケチ」と思う人が多いのですが、私はこうゆう細やかさを常に忘れない、これぞまさに「橋本流」、感激しました。
    ケチで言っているわけでは無く、「無駄な事はしない」ということを徹底する。
    それは裏返せば、必要な事をするためには、無駄な事をしている時間はない、ということなのです。
    ひろ矯正歯科には、その日以来、ペーパータオルの置いてある場所には、「1枚で十分」、「使用後はゴルフボール大に丸めて捨てること」と、張り紙をしました。

    先生は、診療の傍ら、ある医療法人の人事も担当されていらっしゃるそうで、お話の中で、「この間も面接をしたんですが、『あなたのような人は、今すぐこの医院から出て行きなさい』、そう言ってやりました。」と仰っていましたが、最近は、ちょっと注意すると、相手が誰であろうが、自分が間違っていようが、一切お構いなしに食ってかかるという、まったく子供のような歯科医が多いことは、私も同感です。自分の持てる知識を何一つ隠すこと無く全て教え、将来のことまで見据えて親身に考えてくれている人に対して、喧嘩を売る、罵倒する、そんな愚か者と過ごす時間は、私は 1分たりとも持ち合わせていません。

     

    橋本先生はレクチャーの内容もさることながら、見やすいスライドの作り方や注意点など、いろんな事を教えてくださり、1人で聞くのは本当に勿体なすぎましたので、機会があれば、人を集めてご講演を頂きたいと思っております。

    レクチャーの後、松本市内の仏蘭西料理店にご案内し、晩御飯を御一緒させて頂きました。
    先生はお酒は一切お召し上がりにならない、「飲めない」のではなく、「飲まない」。
    そのスタイルを若い頃から頑なに通していらっしゃるそうで、ここにも「橋本哲学」を感じました。

    橋本先生、お忙しい中、お時間を頂きまして、本当に有り難うございました。
    いつまでも現役で御活躍されますことをお願いいたします。

     


    仏蘭西料理の「メゾン ド ヨシダ」にて。
    先生と一緒に食事が出来たことを、本当に光栄に、有り難く思います。

     

  • 2014/01/30

    Dear Friends, in Barcelona

    久しぶりに Barcelona、Universitat Internacional de Catalunya(以下UIC)に行って来ました。
     
    UICの主任教授である Dr. Andreu Puigdoller と、教授である Dr.Felnando de la Igresiaには、とてもとても大きな借りがあるので、その御礼をするのが目的です。
     
    大きな借り、それは、私の知人(以下P)を特別に1年間UICに受け入れてくれたことです。
    今から3年ほど前でしょうか、Pが1年間ヨーロッパの離島に行くというので、なんでまたそんな所に行くのかと聞くと、英語の勉強のためだというのです。
    1年間遊ぶために行くのならイイけど、英語の勉強だけのためにそんな島で1年も時間を費やすなんて勿体ない、英語なんて特別なことをしなくてもそのうち話せるようになるから、それくらいなら Barcelonaに行きなよ、1年間、英語だけじゃなく矯正と、スペイン語も勉強出来る、教授に聞いてあげるよ、と話し、Fernandoと Andreuに連絡を取りました。
     
    ところが、UICには、1年間だけ勉強するというプログラムはなく、きちんと試験を受けて正規の学生として入学するか、マスターコースに入るかしない限り、受け入れて貰えないとのことでした。
    そこを頼み込んで、曲げに曲げて貰って、特別に1年間の研修生という扱いで、履歴不問、語学試験/入局試験無しで受け入れてくれたのでした。
     
    でも何故スペイン、と思われますか?
    じつは、スペイン語は、世界で3番目に多く話されている言語なのです。(1位はもちろん英語、2位は中国語(人口が多いですからね)、そして3位がスペイン語なのです。
    その上、UICにはスペインでも著名な臨床教授が何人も在籍している上に、Fernandoはスペインで間違い無くNo.1の舌側矯正をしている矯正専門医です。
    彼らは、当然ながら英語は流暢に話しますので、Barcelonaに1年いれば、英語だけで無くスペイン語も習得でき、しかも矯正歯科も UICと Fernandoのオフィスで勉強出来る、思ったのです。
     
    Andreu とFernandoは、私のお願いを寛大にも受け入れてくれただけでも有り難いのに、1年間の留学の証として、Pの筆頭著書論文まで形にして頂きました。
    無理なお願いを聞いて頂いた手前、Pが留学を終える際には、自分が Barcelonaまで出向いて、御礼を言いに行かなければならないと思っていたのですが、、、いろんな事情により、それは断念しました。
     
    「御礼とお詫びは出来るだけ早く」というのが自分流ですので、留学終了から随分時間が経ってしまったことを凄く申し訳なく思い、合わせる顔が無いと思っていましたが、会うと全然気にすること無いと言って歓迎してくれて、いつもどおり暖かく迎えてくれたのは、本当に嬉しかったです。
    彼らには本当に感謝、感謝、一生の友達です。
     
    11月25日、KLMで成田を後にし、一路バルセロナに到着。

    Barcelonaでは、タクシーは黒と黄色です。
    ヨーロッパでは空港から出ると、黒いスーツ着た人が近づいていて、”TAXI ?” と聞かれますが、絶対に無視して下さい。
    「コイツら」は、いわゆる白タクで、通常のタクシーの数倍から数十倍の値段を請求され、金を払うまではトランクを返してくれません(僕は経験はありませんが)。
    白タク以外でも、街で声をかけられたら返事をしないで無視するのが一番です。
    返事をすると、しつこく追いかけてくるからです。
     
    翌26日は、朝からFernandoの診療所を訪ねます。
    2013年の5月に、今までのオフィスから移転して、新しく再スタートしたのです。
     

    この並木道の向こうにFernandoのオフィスはあります。
    Barcelonaの中心部、Diagonal地区から歩いて数分のハイソな地区です。
     
     
    Fernandoの Officeの Entranceです。
     
     
    受付も、待合いも、診療室も、落ち着いた感じで、お洒落。
    Fernandoのセンス抜群、前のオフィスも良かったけど、今度のもイイ感じです。
     

    初診室には、彼がひろ矯正歯科に見学に来たときの写真が飾ってありました。
     
    初診で使うプレゼンには、Hiro bracketが他の舌側矯正用ブラケットと比べて如何に薄く小さく、舌側矯正が快適に治療が受けられるということが説明されていました。
     
    矯正専門医は、スタートして最初の2,3年は患者さんが殆どいないのが普通ですが、彼は開業してまだ半年だというのに、かなり忙しそうで、なんと、トップモデルや、バルセロナのサッカーチームFCBの超・超大物選手も通院するのです(彼に名前は書くなと言われたので書けません)。
     
    長居して仕事の邪魔をしてもいけないので、ひととおり中を見せて貰ったあと一人でお昼御飯に出掛けます。
    以前から行きたいレストランがあったのですが、いつも行けなかったので、今日は絶対行こうと、Hop on/ Hop off に飛び乗り、目的の Port Olimpicに向かいます。
     
    少し歩いて、お目当てのシーフードレストランに到着。
    La Fonda del Port Olimpicというレストランです。
    店に入って、自分で食材を選んで、調理して貰います。
     

     

    勿論、生牡蠣も頂きました。 美味しかった〜。
    隣の La Fitoraも行きたかったのですが、ここはまた次回のお楽しみということで、、。
     


    Port Olimpicにて。 寒かったです。
     

     

    夜はFernandoが晩御飯に招待してくれました。
    その日は、Barcelonaで年に1度だけあるお祭りの日とのことで、夜9時だというのに Passeig de Graciaや Rambla de Catalunyaが歩行者天国になっており、朝までドンチャン騒ぎが続きます。
    人混みをかき分け、Fernandoの義父のお店で買い物をしたあと、3人で食事をしてホテルに帰りました。
     
    27日は朝から UICで講義、Fernandoがホテルまで迎えに来てくれます。
    11月の Barcelonaは寒いです。
    松本と同じくらいかな、、。
     

    久々のUICです。
     

    相変わらず、学生さん達、熱心に勉強しています。
     

    9:00から UICの Clinical professorが順に講義をします。
     
    Fernando,

     
    Anna,

     
    Jean,

     
    Andy,

     

    主任教授の Andreu Puigdoller 先生,

     
    そして僕です。

     


    みんなとランチを一緒に頂いたり、夜は教授達と一緒に晩御飯に御招待頂き、翌日も1時間半の講義を行いまして、無事にミッション終了、帰路に就きました。
    1日目3時間半、2日目1時間半お話をさせて頂きましたが、あっと言う間でした。
     

    UICの教授達と一緒に
     
    UICのみなさんが、Pが日本に帰ってから連絡が取れないと言っておられたのが気になります。
    僕に対しては良しとしても、御世話になった Barcelonaの先生達には不義理がないように希望します。
     

     
     

  • 2013/12/01

    DH古畑さんの結婚式

    2013年11月30日、長野市のホテル国際21で、歯科衛生士の古畑さんの結婚披露宴が行われましたので、スタッフ全員で行ってきました。
     
    会場に到着して、まだ披露宴まで時間があるので、喫茶室でビールを内緒で一杯、、、。
    すると、窓の向こうには、結婚式を終えた新郎新婦が!
     

    デジカメでズームして撮りました。 普段から明るい古畑さんが、一層明るい感じ、幸せ一杯って感じでした。
    披露宴で聞いた話では、高校の頃から愛を育まれてきたそうで、そりゃ〜幸せですよね〜〜!!
     


    新郎の顔はモザイクをかけさせて頂きました。
    理由1:旦那さん御本人の同意を得ていない。
    理由2:万が一にも、旦那さんのお仕事に差し支えては、取り返しのつかないことになる。
     
    注)旦那さんは、ヤバイお仕事なので顔を隠しているのでは無くて、その逆ですので、誤解無きようお願いいたします。
    顔をお見せできないのが残念ですが、長身で、滅茶苦茶ハンサムで、カッコイイ旦那さんです。
     


    お決まりのファーストバイト。
    僕らの頃はこんなの無かったなあ、、。
     


    披露宴も大詰め、両親への手紙を読みます、、。
    古畑さん、頑張って!!
     
    僕は、こう見えても案外涙もろいほうで、スタッフの結婚式では、いつも涙してしまいます。
    僕には娘がいますが、娘が結婚する時の事を考えただけで泣けてきます。
    なので、カラオケに行って、かぐや姫の「妹」を歌うと、泣けてしまって歌えません。
    娘が嫁いで行く時には、前の日から泣きっぱなしで、式の時には、、、考えただけで泣けてきます。
     

    古畑さんは、2011年の年頭からひろ矯正歯科に勤務してくださり、約3年間の短い間でしたが、とても頭の回転の速い、いろんな細かな事にも大変よく気の付く、優しい歯科衛生士さんでした。
     
    披露宴での主賓の挨拶でも述べさせて頂きましたが、古畑さんがひろ矯正歯科に来てくれてから、良いことが次々と連続し、まるで「座敷わらし」のような、福を呼んでくれる方でした。
    結婚後も、新しい家庭に次々と福を呼び込み、幸せな家庭を築かれる事と思います。
    末永くお幸せに!
     

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