昨年9月頃だったでしょうか、2014年のヨーロッパ舌側矯正歯科学会大会の大会長である Dr. Vittorio Cacciafestaから、6月に Italyの Comoで第11回 ESLO meetingを開催するから、Keynote speakerとして来てくれないかとのメールを頂きました。
招待されても、旅費や宿泊代が支給されるわけではないので、単なる名誉職なのですが、自分の下手な英語でも「Hiroの話を聞きたい」と言って頂けるのは、本当に有り難い事ですので、いつもどおり 2つ返事でお受けし、行って来ました。
会場の Villa Erba, Cernobbio
いつもは学会の3ヶ月ほど前から早起きモードになり、朝4時5時に起きて準備を始めるのですが、今年は年始から頭の痛い問題が立て続けにあり、4時5時にベッドで目が開いても、起き上がることを精神的に拒否する毎日で、学会があと1週間と迫っても、まったくエンジンがかかりません。
そんなこんなしているうちに、とうとう出発の日が来てしまいました。
いつもどおり中央タクシーが自宅に迎えに来てくれて、一路羽田に。
当然、車中では必死で仕事です。
羽田ではお目当ての すき焼き を頂きます。
この「たか福」というお店は、味もさることながら、客への対応がしっかりしていて、とても良いお店ですので、機会がありましたら、是非行ってみてください。
Air Franceでの機中も寝ないで準備、あっという間に CDGに到着、乗り継いで Milanoには朝の10時に到着、Milanoから Comoまでは50Km程ありますので、バスと電車を乗り継いで、お昼頃、ホテルに到着。
駅で切符を買って、電車でホテルに向かいます。
滞在先の Hotel Albergo Centrale。 個人経営の小さなホテルですが、3-star hotelで、レストランは、10年以上、Michelin guideにリストされている美味しいお店です。
その日はフリーなのですが、プレゼンの準備がまだ終わっていないので、出掛けずに部屋にこもって準備します。
翌日は、朝から Pre-congress courseに参加。
Dr. Germain BECKER (Luxemburg), Dr. Esfandiar MODJAHEDPOUR (Germany), Dr. Roberto STRADI (Italy)、Dr. Robbie LAWSON (UK)ら4名のドクターが Lecturerを努める Incognito のコースです。
別に Incognitoに興味があるわけでも無いし、使うつもりもありませんが、いつも Pre-congress courseでは、Lectureをする側で、他の先生のコースを受講したことがないので、一度受けてみたいなと思っていたところ、今年は Pre-congressでは話さずに済んだので、受講してみたわけです。
開発者の Dr. Dirk Wiechmannは、“Toshiには Incognitoは不要だ” とコメントしていましたが、僕は実際に何症例かやってみて、Incognitoは、 舌側矯正初心者の先生には向いているかも知れないけど、今の自分のレベルの治療結果は、Incognitoでは出せない、というのが結論です。
日本国内外の舌側矯正の expertsも、Incognitoは使っていません。
3Mさん、すみません。
2人の lectureが終わり、Coffee breakで一息ついていると、次期会長の Dr.Takis Kanarelisが呼びに来て、Active memberと Titular memberへの提出症例の Examinerをやってくれとのこと。
それだけは勘弁してくれ、おれは WSLOの時に体裁の整っていない症例を不合格にしたら、「オレの友達を何で落とすんだ」と、全くおかしな文句を言われたし、World Board of Lingual Orthodontics の設立の際には、公平性と透明性をキチンとしなければダメだと主張したら、何人もの先生から鼻つまみ者にされ、JLOAでは今だに四面楚歌なんだ、だから、おれは Examinerは絶対にイヤだ、と断ったのですが、Germainも困っている、どうしてもやってくれ、Examinerを出来る人がお前しかいないんだ、と食い下がるので、しょうがなく引き受けました。
まずは Titularの Candidate 8人を4人で手分けして、自分の持ち分の 2人を採点します。
完全に匿名なので、何処の誰が治療したのかわかりませんが、さすがに Titularに applyしてくる先生達は きちんと治しています。
上顎前歯のトルクコントロールが若干甘い症例がありましたが、それを減点しても十分合格点。
もう1人の先生は、何故に Quad helixが入っているのか理解に苦しみますが、それ自体は別に減点にも何もならないし、正直にありのままを提出されて、結果も Excellentなので、OK、合格点です。
そのあと、Active memberの症例評価へと移動します。
Active memberの症例は、Titularに比べると、治療のレベル低下が歴然です。
治療結果以前に、資料が規定通りにまとめられていない。
特にCandidateのなかの1人は、治療前後のレントゲンの重ね合わせが、明らかにおかしい。
これは絶対にリンガルで治療されたものじゃなくて、ラビアルで治したのを出してきている、と判断。
治療経過の写真を見ても、1枚しかないので、やはりインチキ臭く、不合格にする。
ただし、Presidentは Germainなので、最終判断は任せますわ、と全てを彼に委ねましたが、Germainも不合格にしたとのこと。
手前が Dr.Germain Becker、 そして僕の向こうが次期大会長の Dr.Takis Kanarelisです。
翌日、日本人の有名な先生が、「彼はオレが引っぱってきたんや」と言ってきましたが、そんなの知るか!
誰が連れて来ようが、candidateが誰であろうが、試験は試験、資料も揃っていないものはダメに決まっているでしょう。
そんなことを文句言うなら、その先生が最後まで責任持って指導すればいい、そう思いませんか?
学会の認定医試験に人が治療した症例を借りて出すとか、舌側矯正の学会に外側の症例を知らん顔して出すというインチキ野郎が実際に存在するわけですから、最低限その辺の所をキチンと整備をしないと、制度自体が意味の無いものになってしまいます。
だからWBLOの設立の時には、キチンとしておかないといけない、と、あれほど言ったんです!
他の日本人の先生からも、「へえ〜〜、ヒロ先生が Examinerなんだ〜」と、妬み嫌みを言われ、気分最悪。
はっきり言って、もう関わりたくないです。
しかも、この症例評価を行っていたために、聞きたかったDr.Roberta Stradiの話が聞けず!
会場前の木陰で記念撮影。
PCカバンの持ち手がちぎれて、危うくパソコンを落っことすところでした。
その日は、18時から welcome partyがありましたので、小一時間ほど出て、あとはホテルに帰ってプレゼンの準備をし、翌日、翌々日も朝イチから終了まで学会場で過ごし、学会終了後は出掛けもせずにホテルでプレゼン準備です。
土曜の夜は Gala Dinner、学会場の敷地内にある Old Villaという歴史ある建物の中で Formal Dinnerです。
Pre-dinner cocktail partyでは、Patioで Champagneを頂きます。
この時間がいろんな先生とお話が出来て一番楽しいひとときで、今回もいろんな先生とお話が出来ました。
Indian Genius, Dr. Jignesh Kothari got an award for Titular member.
少しほろ酔いになったところで、Dinnerが始まり、みんな中に移動します。
何処に座ろうかなとテーブルを伺っていると、なんと、僕は指定席とのことで、席に行くと、僕の名前が書いてある。
ビックリ&嬉しい!
美味しいワインとイタリアンをお腹いっぱい頂き、23時閉宴の予定ですが、まだ明日の発表の Power Pointが完成していないので、途中で抜けてホテルに戻り、寝ないで準備。
なんとか講演の3時間ほど前に出来上がりましたが、練習なし、原稿もないまま本番に臨みます。
演題は、 “Introduction of the Mienai Lingual Bracket System”、日本語では、「『見えない』矯正装置の紹介」です。
練習無しのぶっつけ本番、タダでも下手な英語に さらに拍車がかかりました、、、。
でもね、英語がNativeのように流暢でも、誰にも相手にされない先生もいることを思えば、こんな下手な英語でも熱心に聞いて頂けるというのは、本当に有り難いことですね、、。
現在使っている超小型のヒロブラケットは、使用し始めてから15年が経過します。
今までいくつもの試験に合格たのも、この Hirobracketsで治療していますので、特に大きな問題があるわけではないのですが、製造元の TOMY Internationalが私以外の先生には販売しないということ、それから、もう少しココがこうなっていればもっと良いのになァ、という点が無くはないので、そういった点をクリアできるブラケットを作ったわけです。
開発に取りかかってから完成まで、じつに永い道のりで、完成まで8ヶ月と言われていたのが、実際には3年半以上を費やしてしまいました。
デジタル+セルフライゲーションが次々と市場に出てきており、いまさら感がありますが、実際に使ってみると非常にコントロールのしやすいリンガルブラケットです。
特に前歯部のロテーションコントロールが確実に出来る工夫がしてあります。
上図のように、外側矯正の治療では、ブラケットがアーチワイヤーの内側に位置するために、ワイヤーとブラケットが2点接触となり、捻転のコントロールをしやすいのですが、舌側矯正の治療では、アーチワイヤーの弧が小さい上に、ブラケットはアーチワイヤーの外側に位置するので、ブラケットとワイヤーが1点接触となり、このことが前歯の捻転のコントロールを困難にしています。
そこで、Mienai Lingual Bracket Systemでは、スロットの底部を凹ませ、ワイヤーとブラケットが2点接触となるように作りました。
Kurzと比較すると、ブラケットの幅は小さいけれども、スロットは長い。
これも安定したコントロールが出来る要因の一つとなっています。
小臼歯も脱落が少なく、小臼歯・大臼歯はフリクションが少なくなるような工夫がしてありますので、舌側矯正を行っておられる先生は、使って頂けると幸いです。
日本での販売は、(有)バルビゾン、TEL : 047-460-7818 / FAX : 047-460-7819 です。
会場はいつもながら満席でした。
次期 ESLOは、2016年の6月30日から7月3日、ギリシャのアテネで行われます。
僕の左側、サングラスを胸にかけているのが、次期大会長の Dr.Takis Kanarelisです。
みなさんには、「恩師」は何人くらいいるでしょうか?
小・中学校の同窓会には、当時の先生達は「恩師」として出席されていますし、実際に恩師である事に違いはありません。
私にとって「恩師」というのは、勉学を教えてくれた先生だけで無く、もっと広義で捉えていますので、私の恩師は本当にたくさんいます。
私は歯科大学を卒業してからすぐに矯正科の医局に入局しましたので、矯正学講座の教授である出口敏雄先生は恩師の筆頭であり、今もたいへん御世話になっています。
一方では、個人的な交流は一切無しで、教授と一学生以上の付き合いは無かったけれども、間違いなく私自身の人生に大きな影響を与えた「恩師」がいます。
そのお方は、橋本京一先生、私が学生時代、補綴学第1講座の教授であらせられ、講義や基礎実習、臨床実習などで御世話になりました。
私が卒業した当時の補綴科診療室で指導をされる橋本先生(卒業アルバムから)
今から35年前、歯科医師を志して松本歯科大学に入学し、専門課程が始まると、授業が楽しくて仕方が無かった毎日。
私達の学生時代には、大学に「名物教授」が何人もいらっしゃって、この先生の授業を受けられる、この先生から教われるということが、どれほど有り難い事かと、胸を弾ませて一生懸命勉強をしたのが昨日の事のように思います。
橋本先生は、その名物教授の中の1人で、当時は、学生も補綴科の医局の先生達も、橋本先生のことを「コワイ」と言っていましたが、私自身は記憶の限りでは今まで橋本先生の事を「コワイ先生」と思ったことは無く、むしろ、「自分はこうありたい」、「歯科医師は かくあるべき」と、自分の理想の歯科医師像として、人間としての憧れを抱いていました。
「コワイ先生」と評されたのは、私が思うに、橋本先生は全てに対して、ものすごく厳格な先生であるからだと思います。
いい加減な事や、妥協を許さない。
橋本先生は、何故に全てのことに一切妥協をしないで、そこまで厳格に生きられるのか。
それは、「常に自分に対して一番厳格であるから」だと、私は思っています。
橋本先生が仰る事は、全てスジが通っており、肯定するにも否定するにも、必ずそれを裏打ちする理論と理由が存在しています。
私が卒業した当時の橋本先生(卒業アルバムから)
私が卒業した当時の補綴学講座(卒業アルバムから)
学生当時、私は大学を卒業したら dentureか矯正のスペシャリストになろうと決めていました。
いろいろな理由で出口教室に入局しましたので、橋本先生とは特に交流を持つ機会も無く、何年もの歳月が流れました。
ところが最近、Facebookで橋本先生とお近づきになることが出来、橋本杯ゴルフコンペを計画したり(荒天のため中止になりましたが)、メールでやり取りが出来る状況となりました。
先生は歯科大のゴルフ部の顧問をされていましたが、自分はゴルフ部でもなかったし、先生は覚えていらっしゃらないだろうなと思っていたのですが、先生から松本歯科大学の観桜会で塩尻に行くので会えますか、とメールを頂き、私は大喜びで ひろ矯正歯科の診療室にお越し頂きました。
私が卒業した当時のゴルフ部(卒業アルバムから)
お会いして驚いたのは、先生は私の学生時代の頃のまま 35年間、全く変わること無く、とてもお元気でいらっしゃり、御自分で車を運転していらっしゃいました。
今も現役で歯科医師として診療をしていらっしゃるだけでなく、講演活動も活発に行われていらっしゃいます。
東京に講演に行かれる際にも、名古屋から御自分で車を運転されて行かれるということは FBで読んで知ってはいましたが、凄すぎる、の一言です。
ひろ矯正歯科の中を一通り御覧頂いた後、先生はプロジェクターとパワーポイントを使って、私一人のために3時間程の講義をして下さいました。
その講義たるや、まさに学生時代に教わった「橋本教授」そのもので、35年前の事だけでなく、先生が戦争に行かれた頃の写真や、当時の医学的状況はじめ、いろんな事をまさに昨日の事のように、はっきりと覚えていらっしゃっいました。
レクチャー以外にも、とても大切なことをいくつか教えて下さいました。
例えば「廣先生、手を拭くのにペーパータオルを何枚使いますか? 2枚使っていますよね? 手を洗った後、手をこうやって10回振って水を切ってから拭くと、1枚で済みます。そして、拭いたペーパータオルは、ゴルフボールくらいの大きさに丸めて捨てると、ゴミの量が何分の1かになります。」といったような事です。
このような事を言うと、「五月蠅い」とか「ケチ」と思う人が多いのですが、私はこうゆう細やかさを常に忘れない、これぞまさに「橋本流」、感激しました。
ケチで言っているわけでは無く、「無駄な事はしない」ということを徹底する。
それは裏返せば、必要な事をするためには、無駄な事をしている時間はない、ということなのです。
ひろ矯正歯科には、その日以来、ペーパータオルの置いてある場所には、「1枚で十分」、「使用後はゴルフボール大に丸めて捨てること」と、張り紙をしました。
先生は、診療の傍ら、ある医療法人の人事も担当されていらっしゃるそうで、お話の中で、「この間も面接をしたんですが、『あなたのような人は、今すぐこの医院から出て行きなさい』、そう言ってやりました。」と仰っていましたが、最近は、ちょっと注意すると、相手が誰であろうが、自分が間違っていようが、一切お構いなしに食ってかかるという、まったく子供のような歯科医が多いことは、私も同感です。自分の持てる知識を何一つ隠すこと無く全て教え、将来のことまで見据えて親身に考えてくれている人に対して、喧嘩を売る、罵倒する、そんな愚か者と過ごす時間は、私は 1分たりとも持ち合わせていません。
橋本先生はレクチャーの内容もさることながら、見やすいスライドの作り方や注意点など、いろんな事を教えてくださり、1人で聞くのは本当に勿体なすぎましたので、機会があれば、人を集めてご講演を頂きたいと思っております。
レクチャーの後、松本市内の仏蘭西料理店にご案内し、晩御飯を御一緒させて頂きました。
先生はお酒は一切お召し上がりにならない、「飲めない」のではなく、「飲まない」。
そのスタイルを若い頃から頑なに通していらっしゃるそうで、ここにも「橋本哲学」を感じました。
橋本先生、お忙しい中、お時間を頂きまして、本当に有り難うございました。
いつまでも現役で御活躍されますことをお願いいたします。
仏蘭西料理の「メゾン ド ヨシダ」にて。
先生と一緒に食事が出来たことを、本当に光栄に、有り難く思います。
久しぶりに Barcelona、Universitat Internacional de Catalunya(以下UIC)に行って来ました。
UICの主任教授である Dr. Andreu Puigdoller と、教授である Dr.Felnando de la Igresiaには、とてもとても大きな借りがあるので、その御礼をするのが目的です。
大きな借り、それは、私の知人(以下P)を特別に1年間UICに受け入れてくれたことです。
今から3年ほど前でしょうか、Pが1年間ヨーロッパの離島に行くというので、なんでまたそんな所に行くのかと聞くと、英語の勉強のためだというのです。
1年間遊ぶために行くのならイイけど、英語の勉強だけのためにそんな島で1年も時間を費やすなんて勿体ない、英語なんて特別なことをしなくてもそのうち話せるようになるから、それくらいなら Barcelonaに行きなよ、1年間、英語だけじゃなく矯正と、スペイン語も勉強出来る、教授に聞いてあげるよ、と話し、Fernandoと Andreuに連絡を取りました。
ところが、UICには、1年間だけ勉強するというプログラムはなく、きちんと試験を受けて正規の学生として入学するか、マスターコースに入るかしない限り、受け入れて貰えないとのことでした。
そこを頼み込んで、曲げに曲げて貰って、特別に1年間の研修生という扱いで、履歴不問、語学試験/入局試験無しで受け入れてくれたのでした。
でも何故スペイン、と思われますか?
じつは、スペイン語は、世界で3番目に多く話されている言語なのです。(1位はもちろん英語、2位は中国語(人口が多いですからね)、そして3位がスペイン語なのです。
その上、UICにはスペインでも著名な臨床教授が何人も在籍している上に、Fernandoはスペインで間違い無くNo.1の舌側矯正をしている矯正専門医です。
彼らは、当然ながら英語は流暢に話しますので、Barcelonaに1年いれば、英語だけで無くスペイン語も習得でき、しかも矯正歯科も UICと Fernandoのオフィスで勉強出来る、思ったのです。
Andreu とFernandoは、私のお願いを寛大にも受け入れてくれただけでも有り難いのに、1年間の留学の証として、Pの筆頭著書論文まで形にして頂きました。
無理なお願いを聞いて頂いた手前、Pが留学を終える際には、自分が Barcelonaまで出向いて、御礼を言いに行かなければならないと思っていたのですが、、、いろんな事情により、それは断念しました。
「御礼とお詫びは出来るだけ早く」というのが自分流ですので、留学終了から随分時間が経ってしまったことを凄く申し訳なく思い、合わせる顔が無いと思っていましたが、会うと全然気にすること無いと言って歓迎してくれて、いつもどおり暖かく迎えてくれたのは、本当に嬉しかったです。
彼らには本当に感謝、感謝、一生の友達です。
11月25日、KLMで成田を後にし、一路バルセロナに到着。
Barcelonaでは、タクシーは黒と黄色です。
ヨーロッパでは空港から出ると、黒いスーツ着た人が近づいていて、”TAXI ?” と聞かれますが、絶対に無視して下さい。
「コイツら」は、いわゆる白タクで、通常のタクシーの数倍から数十倍の値段を請求され、金を払うまではトランクを返してくれません(僕は経験はありませんが)。
白タク以外でも、街で声をかけられたら返事をしないで無視するのが一番です。
返事をすると、しつこく追いかけてくるからです。
翌26日は、朝からFernandoの診療所を訪ねます。
2013年の5月に、今までのオフィスから移転して、新しく再スタートしたのです。
この並木道の向こうにFernandoのオフィスはあります。
Barcelonaの中心部、Diagonal地区から歩いて数分のハイソな地区です。
Fernandoの Officeの Entranceです。
受付も、待合いも、診療室も、落ち着いた感じで、お洒落。
Fernandoのセンス抜群、前のオフィスも良かったけど、今度のもイイ感じです。
初診室には、彼がひろ矯正歯科に見学に来たときの写真が飾ってありました。
初診で使うプレゼンには、Hiro bracketが他の舌側矯正用ブラケットと比べて如何に薄く小さく、舌側矯正が快適に治療が受けられるということが説明されていました。
矯正専門医は、スタートして最初の2,3年は患者さんが殆どいないのが普通ですが、彼は開業してまだ半年だというのに、かなり忙しそうで、なんと、トップモデルや、バルセロナのサッカーチームFCBの超・超大物選手も通院するのです(彼に名前は書くなと言われたので書けません)。
長居して仕事の邪魔をしてもいけないので、ひととおり中を見せて貰ったあと一人でお昼御飯に出掛けます。
以前から行きたいレストランがあったのですが、いつも行けなかったので、今日は絶対行こうと、Hop on/ Hop off に飛び乗り、目的の Port Olimpicに向かいます。
少し歩いて、お目当てのシーフードレストランに到着。
La Fonda del Port Olimpicというレストランです。
店に入って、自分で食材を選んで、調理して貰います。
勿論、生牡蠣も頂きました。 美味しかった〜。
隣の La Fitoraも行きたかったのですが、ここはまた次回のお楽しみということで、、。
Port Olimpicにて。 寒かったです。
夜はFernandoが晩御飯に招待してくれました。
その日は、Barcelonaで年に1度だけあるお祭りの日とのことで、夜9時だというのに Passeig de Graciaや Rambla de Catalunyaが歩行者天国になっており、朝までドンチャン騒ぎが続きます。
人混みをかき分け、Fernandoの義父のお店で買い物をしたあと、3人で食事をしてホテルに帰りました。
27日は朝から UICで講義、Fernandoがホテルまで迎えに来てくれます。
11月の Barcelonaは寒いです。
松本と同じくらいかな、、。
久々のUICです。
相変わらず、学生さん達、熱心に勉強しています。
9:00から UICの Clinical professorが順に講義をします。
Fernando,
Anna,
Jean,
Andy,
主任教授の Andreu Puigdoller 先生,
そして僕です。
みんなとランチを一緒に頂いたり、夜は教授達と一緒に晩御飯に御招待頂き、翌日も1時間半の講義を行いまして、無事にミッション終了、帰路に就きました。
1日目3時間半、2日目1時間半お話をさせて頂きましたが、あっと言う間でした。
UICの教授達と一緒に
UICのみなさんが、Pが日本に帰ってから連絡が取れないと言っておられたのが気になります。
僕に対しては良しとしても、御世話になった Barcelonaの先生達には不義理がないように希望します。