昨秋、フランスの Dr.Didier Fillionから、2013年7月に パリで世界舌側矯正歯科学会が開催されるから、Key note speakerとして来てくれないかとメールを頂きました。
今回のWSLOは参加しないつもりだったのですが、招待された以上、余計なことは一切考えずに、即答でOKしました。
暫くすると、Pre-congress courseもやってくれと頼まれ、これも快諾しましたが、いつもながら、準備する時間がありません。
学会 3ヶ月ほど前になると、気になって、自然に朝 5:00前に目が開きます。
まだ家族が寝ている中、一人パソコンに向かい、プレゼン準備をします。
学会が終わると、何故か起こされるまで目が開かないのは、不思議なものです。
いつもどおり、中央タクシーで成田に向かい、タクシーの中、ホテル、機内でと、寝ずに仕事を続け、会場の cnitには1日余裕をもたせて現地入りしました。
当日ホテルに着いてすぐ、近所のスーパーマーケットに食料とビールを買いに出掛けます。
夜中に目が覚めて、腹ぺこでも食べる物が何もないというのが経験上わかっているからです。
サンドイッチを1つ買ったら、もう1つおまけしてしてくれたので、部屋でウエルカム・ワインと一緒に頂きました。
部屋からは cnit前の広場が一望できますが、、
外からは、このようにホテルの部屋は全く見えません。
この白い看板のような物にはレースのようになっていて、部屋の中からは外が見えるけれど、外からは部屋の中が見えないようになっているんです。
時差ぼけと闘いながら仕事を続け、翌日も朝からプレゼン準備です。
昼過ぎには、ほぼ出来上がり、あとは練習するのみとなったので、地下鉄、電車を乗り継いでパリ郊外の Alainのお墓を尋ねました。
電車を降りて、駅前で花を買い、タクシーでお墓に向かいます。
4月に来た時に、Lionel に連れって来て貰ったので、場所を覚えていたのです。
この間は、亡くなって間がなかったので、墓石はまだありませんでしたが、今回はラブラトールという、キラキラと輝く宝石のような石で立派なお墓が出来ていました。
お花を添え、私の新しく開発した新しいブラケット「mienai DNA bracket」をその横に供え、お祈りし、その夜は Alainの奥さんと息子Lionelと3人で、思い出のレストラン「WEPLER」で食事をしました。
ついこの間はココで一緒に食事をしたのに、、。
Alainが逝ってしまったということが、いまだに信じられないです。
翌日、学会は7月4日木曜日の朝9:00から4時間 Pre-congress courseにて講演、13:30に Opening ceremonyで、私のKey note speakerとしての講演は 17:00からです。
Pre-congress courseでは、 「mienai DNA bracket」について、その開発秘話と、一見同じように見えるブラケットに隠された秘密を解説すると共に、正確なボンディングが如何に大切か、症例を提示しながら解説しました。
Key note lectureは、抜歯の必要性と、埋伏歯の牽引についてお話しさせて頂きました。
まず抜歯の必要性については、白人では全体の90%が非抜歯症例ですが、日本人では70%が抜歯症例であるという理由の説明を行いました。
すなわち、叢生の違いと骨格系が白人とアジア人では異なるのだということ、本来抜歯すべき症例を無理矢理拡大し、非抜歯で治療したために歯をダメにしてしまっている症例が後を絶たないということをわかりやすく説明しました。
さらに、私達矯正歯科医は抜きたくて抜いているのではない、出来る限り歯を残したいと努力しているのだということを証明するために、埋伏智歯の開窓牽引症例を提示して立証しました。
もちろん舌側矯正の症例、外側には一切装置が付いていません。
Pre-congress courseは英語で行いましたが、この 30分間の Key note lectureは、フランス語で行いました。
会場は満員御礼でしたが、写真を撮り忘れ、このようなガラガラの写真しかありません。
この会場がほぼ満席になりました。
発表は、Alainに追悼の意を表して、上下黒で。
今回の学会は、Welcome cocktail partyも、 Faculty dinnerも、 Gala dinnerも出ないつもりで家を出ましたので、ダークスーツは持参せず。
WEPLERで食事する時の上着一枚だけ持って来ました。
でも、Lionelや、たくさんの友達が一緒に Galaに行こうよと誘ってくれたので、 ジャケットにブルージーンでお洒落に決めて出掛けましたが、、、会場に着いてみると、いつになく格式高いレストランで、ノーネクタイ、ブルージーンは禁止とのこと。
Galaは出ないで、市内散策へと予定変更しました。
まず、リバークルーズでパリの街を川から眺めます。
夕日に映えるエッフェル塔が綺麗でした。
その後は、お気に入りのレストランで一人、ディナーを頂きました。
このレストランの名物は、赤ワインのフォンデューです。
普通フォンデューといえば、チーズフォンデュ−か、まあ、あったとしてもオイルフォンデューでしょうが、、、ここのフォンデューは、チーズでもオイルでもなく、赤ワインなんです。
赤ワインを鍋にかけて、そこに串に刺した肉を入れて火を通して頂くのです。
これが最高に美味しく、何度食べても飽きません。
デザートは、赤ワインのコンフィのプリンです。
小さなレストランですが、ここは何を食べても最高に美味しいです。
食事を終えて、夜のパリをぶらつき、地下鉄で帰ります。
真夜中だったので、誰も乗っていません。
パリでは、地下鉄を使うと行動範囲がグンと広がりますので、是非皆さんもトライしてみて下さい。
切符は大体ホテルで買うことが出来ます。
市内統一料金で、入るときに切符を通し、出るときは切符を出す必要はありません。
混んでいるときはスリが居ますので、気を付けてください。
パリ市内にて。
この白い車は、シトロエン2CVという、歴史に残る名車です。
一時期所有していましたが、欲しいという人がいたので安く売ってしまいました。
老後のために置いておけば良かった、、、勿体ないことをしました。
次の学会は、10月に日本矯正歯科学会が松本市で開催されます。
この学会では、新しいブラケットの紹介を行います。
その2週間後には、インディアナ大学のセミナーが大阪で開催されますので、お手伝い。
その後は、11月、バルセロナに行きます。
以前にカタルーニャ国際大学の教授である Fernandoに無理をお願いして、友達を1年間受け入れて頂いたことがあるのですが、その御礼と挨拶がまだなので、大学を訪れていろいろと世話になった御礼と挨拶をしに行きます。
この日記を書いているのは、まだ8月ですが、もう、来年の春の準備をして居る状況です。
ああ、忙しい、忙しい、、。
昨年、一昨年に続いて、今年もフランスの矯正専門医達の指導に招かれましたので、フランスに行って来ました。
4月15日から18日までは、マルセイユ大学で終日フランスの矯正専門医を相手に講演と実技指導、19日はパリ大学で午前中一杯は教授達に舌側矯正のレクチャーを行い、午後は大学病院で患者さんの治療の指導を行って来ました。
マルセイユのハーバー、いわゆる ル・ポルト・マルセイユです。
フランスの歯科大学は全て国立で、マルセイユ大学は医学部・歯学部・薬学部と、それに併設された付属病院がある grande universitéです。
以前、石橋貴明がフランス人のことを頭がペチャだとか、或いは、前東京都知事の石原慎太郎がフランス人は数も数えられないとか発言していますが、私に言わせれば、何もわかっていないのにテレビでそうゆう事を言う方がお馬鹿、と思います。
日本の新幹線は今でこそ世界で一目置かれるようになっていますが、世界最速の高速鉄道は今もフランスのTGV(320km/h)、飛行機も世界を代表するエアバスはフランス製、超音速のコンコルドもフランス製、世界最速の市販車もフランス製、医学・歯学の分野でも多国をリードしているのが現状です。
特に歯科治療では、スーパーモデルを超アップで撮影してもわからないような素晴らしい治療をしますので、審美的歯科治療も、矯正歯科も、レベルが非常に高いです。
そんな大学の中でも、パリ大学といえば、日本の東大にあたる大学です。
そこの矯正歯科の教授達に講義をする、大学病院で治療の指導にあたるということは、普通ではあり得ない名誉な事で、例えばナントカ舌側矯正学会の会長とか、カントカ矯正学会の歴代会長とかの肩書きがあれば、政治的に呼ばれることもあるでしょうが、私は今までそのような会長経歴はゼロ、しかも開業しているのは人口6万人の塩尻市、田舎の開業医ですから、私のような者がパリ大学に呼ばれるなんて、なんとも光栄な、有り難い事です。
舌側矯正を極めるということは、通常の矯正は超簡単になるわけですので、ひろ矯正歯科では、舌側矯正だけでなく、普通の矯正治療も他よりも安く安心して受けて頂けます。
但し、一人一人きちんきちんと治療しますので、どうしてもお待たせしてしまいます。
予約制なのに、なんで長時間待たせるのかと思っておられる方が多いと思いますが、自分の納得のいく治療をしたいので、一生懸命にやっております。
何卒、御理解ください。
ただでさえ忙しいスケジュールをやりくりして、1週間医院を休診にして外国に行くというのは、正直、滅茶苦茶きついのですが、自分のような者を呼んで頂けるという事を感謝し、フランスの教授達に敬意を表してお受けしていますので、学会出張についても何卒御理解頂きますようお願いいたします。
4月14日
14日午前のエールフランスで成田を発ち、シャルル・ド・ゴールで乗り継いでマルセイユに向かいます。
マルセイユ空港からホテルまでタクシーで向かい、チェックインして荷物を置いたらすぐに散策に出掛けます。
港周辺には、安くて美味しそうなシーフードのお店が並びます。
マルセイユと言えばシーフード、シーフードと言えば生牡蠣ですので、早速頂きました。
生牡蠣6個と、エビと、デザートがついた定食で 12 EURO、お値打ちでした。
4月15日
集合は8時ですが、朝4時に起きて講義の最終確認をします。
6時半に朝食を取り、そのあともプレゼンのチェックをしますが、あっと言う間に集合時間に。
教授達と一緒に地下鉄に乗り、大学に向かいます。
フランスの朝は本当にすがすがしいです。
地下鉄に揺られること約15分、大学に到着しました。
これがマルセイユ大学です。
Toulouseは郊外にありましたが、Marseilleは街中にあり、医学部・歯学部・薬学部がある grande universitéです。
その中でも矯正歯科は別のビル、1棟丸ごとが矯正歯科です。
このビルが矯正歯科。 ここで CECSMOが行われます。
このコースは、すでに国家試験に合格した先生達で矯正歯科専門医になりたい先生がとる4年間のコースで、大学矯正歯科の教授達が教える、歯科矯正学に集中した4年間のコースです。
矯正歯科の基本的知識が全くないのに、金目当てで患者さんの矯正治療を行い、とんでもない結果になっているケースが日本だけでなく、フランスにもたくさんあるそうです。
こういった裏事情は、私が歯科事情に詳しいからわかるのですが、歯医者でなければ、やはり治療の良し悪しも、歯医者の選び方もわからないだろうなと思います。
今や、医療は医師側の良識だけに頼っていたのでは安心出来ません。
患者さんが医者や歯医者を選ぶ際の一つの目安となるものとして、その分野の学会の指導医や専門医制度がありますが、日本矯正歯科学会には、こういった事例を無くする強制力はありませんし、認定を持っていなくても、学会に属していなくても、矯正治療は好きにやって良いというのが日本の現状です。
私が思うに、歯科医師の免許を与えたのは国ですから、免許を与えた後の管理も国が行うべき、すなわち、最低限の知識と経験をも持っていない歯科医や、「悪徳」とも言える治療をしている歯科医師には、矯正治療を行ってはいけないという制限を行う、これくらいの権限を国は行使しても良いのではないかと思います。
例えて言うと、車の免許が原付、自動二輪、普通車、大型等々に分けられているのと同じように、医師や歯科医師もそうしないと、この先、被害者は増える一方だと思います。
「無免許運転」や、「ひき逃げ」を放置して良いのかと思いますが、皆さんはどう思われますか?
実際、ひろ矯正歯科に相談に来る患者さんの中には、他医で恐ろしい事になっている事例が後を絶ちません。
まだ乳歯列で、顎の発育も良好であるのに、顎を拡げないといけないと言われて100万円近く支払って、全く必要のない治療を受けている人。
ホームページの裏側矯正が出来るという言葉を信じて治療を始めたのに、外側に装置を付けられ、抜いてはならない歯を抜かれ、目を覆いたくなる状態になっている患者さん等々。
同業者を悪く言いたくはありませんが、唖然とするような、「悪徳」と言わざるを得ない歯科医院が存在することは事実です。
昔からかかりつけだから、とか、近所だからという理由で歯医者を選ばず、その先生の言っていることが本当に正しいかどうか、その治療が本当に必要なのかどうかの選球眼を患者さん自身が持つしかありません。
話をマルセイユに戻します。
矯正歯科のビルに入り、まず1〜4年の先生達全員が大教室に集まり、Presidentの話から始まります。
2月のブログにも書きましたが、フランスの矯正歯科を引っぱる最も重要な人物、すなわち、Dr. Alain Deckerが、このCECSMOに参加すること無く旅立たれました。
私は彼のことを矯正学的にも人間的にも物凄く尊敬しており、彼も私のことを非常に高く評価してくれていました。
プライベートな付き合いこそ殆どありませんでしたが、私が European Boardを全部舌側矯正で受験・合格して以来、いつも「Toshi、お前は他の先生達と根本的に違う、間違い無く世界一だ」と言ってくれました。
彼の名誉のために書いておきますが、彼が私と仲が良かったから、WBLOの世界第一号が私に与えられたのではなく、European Boardにリンガルで受験して合格したのが世界初、私一人だったから、WBLOも世界第1号を授与してくれたのです。
私は彼の他界がこれほどまでに悲しいとは思いませんでした。
彼を慕い、彼の思い出にいつでも触れること出来るよう、彼を追悼する slide showを youtubeにアップしました。
驚いたことに、大教室での講義は、私のアップしたyoutubeから始まりました。
フランス人の、フランス人による、フランス人のための学会で、日本人の私の思い出が放映されたのでした。
彼がこの部屋にいないという事が現実であると思うと、本当につらかった。
そのあと、Level 4の先生達と共に部屋に戻り、Hiro systemの製作手順を詳細なキーポイントを含めて講義をしました。
初日は1時間半のレクチャーです。
1時間半だと、気が楽です。
今回は昨年と違い、私が日本で行っているコースと同じ方法で進められ、15日は終日 Hiro systemの実習が行われました。
石膏模型とTypodont のset upは、Lionelが全て準備してくれました。
素晴らしい、、さぞ大変だったと思います。
夕方、再度講義をさせて頂き、そのあと「早番」で一足先にホテルに帰ってNapをとりました
4月16日
16日は朝から講義を任され、舌側矯正の要、特に前歯の噛み合わせが深くて装置が付けられない症例はどうやって治療するか、そして、他の先生が教える方法と自分のやり方はどこが違い、その利点は何か、等々について解説をします。
お昼御飯は、昨日同様、大学病院の最上階にあるレストランに用意してくれてあり、先生達と楽しくおしゃべりしながら美味しいフランス料理を頂きました。
お昼休み、キャンパスでくつろぐ先生や学生達
午後はHiro system laboratory worksを完成まで、でしたので、一人一人チェックして指導を行いました。
私が事前に送った原稿がシラバス(教科書)として配られていました。
これも感激。
隣の教室では、level 3の先生達が一生懸命勉強しています。
教える方も、教わる方も、本当に真面目で真剣です。
こうゆうの、好きだな〜。
4月17日
17日は再び朝から講義を任され、昨日同様、非常に臨床に即した、即戦力となる内容、すなわち、closing sectionの調整の仕方、Anterior BCT (Buccal Crown Torque) の入れ方や、Copper Ni-Tiなどの Thermal activate wireの曲げ方、Angle Class II div.2の治療について、実際の症例を紹介しながら、治療のステップや落とし穴について模型やシェーマを使って解説をし、午後はタイポドント実習の指導です。
他の教授の講義では、外科矯正について、Surgery firstについて話をされていました。
Surgery firstとは??
外科矯正をする場合、通常は術前矯正を行い、咬合を安定させてから顎のオペをするわけですが、術前矯正をしないで一番最初にオペをする事を Surgery firstと言います。
数年ほど前から、Surgery firstを提唱する矯正医が増え始め、このスライドに紹介されている菅原先生は、2010年に Journal of Clinical Orthodonticsに投稿されていますが、私は Surgery firstを 2001年から行っています。
私が Surgery firstを行う理由は、外科矯正のオペでは、私達矯正医が口腔外科医に依頼したとおりに顎が位置づけられておらず、顎間固定をはずすと数ミリのズレが出て、術後矯正が非常に困難になることが往々にしてあります。
ならば、術前矯正をしないで、先にオペを行ってしまえば、もしオペ後に顎関係が予定した状態になっていなくても、そこからが矯正のスタートになるから、リスクが相当回避されるのでは、と考えたからです。
当時はまだ、こんなことを行っている先生はいなかったために、長野日赤の口腔外科では、患者さんのオペ直前にオペをドタキャンされたこともありました。
事前に担当医を通じて何度も連絡を取り合い、口腔外科部長のコンセンサスを得て準備をしていたにもかかわらず、オペ直前に口腔外科部長の横林先生はオペをドタキャンし、私に怒鳴り声で電話をかけて来て、患者さんに多大な迷惑をかけてしまったことがありました。
結局その患者さんは、松本歯科大学口腔外科で surgery firstでオペをして、良好な結果を得ることが出来ました。(この治療記録は、患者さんの同意を得た上で、日本矯正歯科学会専門医の試験に提出、合格したことからも、私の行った Surgery firstが正しかったということは証明できたと思います。)
この件は、当時、長野県の歯科医師会でも問題になり、事実を曲げて伝えられ、私一人が悪者という形で幕を閉じましたが、私達医療人たるものは、どんな時も自分の不勉強のために患者さんに迷惑をかけないようにしたいものです。
Dearest friend Germain、とても人間味のある人です。
彼も本当に多忙で、5分の時間も惜しまず仕事をします。
Dinnerは Marseilleでも屈指の歴史あるレストランに連れて行って頂き、食事が終わると、受講生達がパーティーをやっているから、ちょっとだけ顔を出そうと誘われてハーバーに向かいます。
何億円もするだろうなと思われる豪華なヨットが所狭しと係留されていますが、その中でもひときわ大きなヨット一隻が宴会場となっています。
階下のキャビンではラップがガンガン流れ、みんな踊りまくっています。
デッキではみんなシャンパン片手に大騒ぎ。
何を話しているのでしょうか。
矯正の事でしょうか、彼女の事でしょうか、、。
私もシャンパン片手にぶらぶらしていると、写真を撮ってくれと取り囲まれ、ウイグとグラスを付けられ、このありさまです。
この金髪・赤いサングラスが私ですが、わかりましたか?
メッチャ楽しい!
よく学び、よく遊べ!
こうゆうの大好きです!
もっと居たかったですが、他の先生達が帰るというので、一緒にホテルに帰りましたが、楽しかった、、。
4月18日
18日は、朝からFillion先生のレクチャーがありますが、パリに向けて発たなければなりませんので、会場で挨拶をして、他の教授達に別れを告げ、Germainの Touaregで一足先にパリに向かいます。
「パリまで600km程もあるのに、車で来たの???」って聞くと、途中 Lionに、ミシュランに載っているレストランがあるから、そこでランチを食べさせたいから Luxembourgから車で来たとのことでした。
なんとも有り難いことです。
飛行機で移動するより、電車や車で移動した方が旅は数倍楽しめます。
高速道路は制限速度を守り(フランスは速度超過要注意です)、美しい景気に見とれつつ、仕事をしながらの楽しいドライブです。
ちょうどお昼の時間に目的のレストラン、L’Amaryllisに着きました。
横には小川が流れ、日本を意識したとのことで、柳の木が植えられていました。
お庭も、建物も、お店の方の対応も、そして料理も、本当に最高でした。
ありがとう、Germain。
この青リンゴのような物は、デザートで、中にソルベが入っています。
いくつものフロマージュ。
これも美味しかったです。
食事を終えた後、一路パリに向かいます。
この日は大学病院の近くのホテルを Germainが予約してくれてありました。
着替えてすぐに晩御飯に出掛けます。
晩御飯は、もちろん Weplerです。
ここは昨年、Alainが山ほどの生牡蠣を御馳走してくれたお店です。
この日も食べきれないくらいの 生牡蠣、貝、エビ、蟹を御馳走してくれました。
Germain、ありがとう。
4月19日
今日は朝からParis Vの教授達を相手に2時間の講演、午後は矯正治療の指導です。
ホテルから Bretonneau Hôpitalまで歩いて10分ほど、4月のパリの朝のすがすがしい空気を堪能しながら病院に向かいます。
病院に着き、いざ lecture 開始。
Power pointを起動し、Alainの写真を机上に置き、
先生方への挨拶から始めますが、、、
Alainが死んでしまった、去年はここに居た、、、、
今年も居るって約束したじゃないか、、。
って思うと、つらくて、悲しくて、泣けてきて、、
たくさんの教授達の前でしたが、5分くらいでしょうか、号泣してしまいました。
教授達は、泣きじゃくる私に対し、全員席から立ち上がり、黙祷してくれていますが、私は話すどころか、泣くばかり。
ハンカチで顔中を拭きながら、座って下さいとゼスチャーしますが、、その後も5分ぐらいでしょうか、、号泣状態で、レクチャーになりませんでした。
最近、身の回りはスタッフの結婚式など、お目出度いお話ばかりでしたので、大切な人の死に直面するというのは、これほどまでに悲しいこととは、、。
人間なんて、いつ死ぬかわからない。
死ぬ時は、あっけないもの、死は突然やって来ます。
さっきまで一緒に居た人が、帰りに死んでしまうかも知れない。
恩師の出口先生は、私のことを「廣は凄く親孝行なんだ」と言ってくれますが、死んでから、あれもしてあげれば良かった、これもしてあげれば良かったと悔やんでも遅い。
だから、生きている間に自分に出来る事を出来る限りやっておきたい、そう思って、親にも、家族にも、友達にも、患者さんにも接しています。
福島原発の事故がなければ、2年前、Alainは10名ほどの教授達を引き連れて、塩尻の私の診療所にやって来る筈でした。
昨年、Toulouseでは、日本においでよと誘ったのですが、忙しいからダメだとAlainは言いました。
じつはその時、彼自身は、3%しか生き延びる可能性が無いということを知っていたようです。
彼に日本に来て貰いたかった、、。
日本の居酒屋に連れて行きたかった、、。
地震は避けられないけど、原発事故は避けられた筈。
中国の大気汚染PM2.5ばかり取りざたされていますが、隣国の大気汚染より、自国の放射能汚染のほうが深刻だと私は思いますが、、。
パリ大学での講義は、現在開発中の新しいブラケットの特徴について、9時から11時まで、2時間ミッチリお話しをさせて頂きました。
講演後に質疑応答を終え、終わろうとしていると、昼ご飯まであと2時間あるから、もっと話してくれとのこと、、。
え〜っ、2時間って聞いていたんですけど、、、ポリポリ。
僕の話をもっと聞きたいから、何の話でもいいから続けてくれ、とのこと。
ではWBLOの試験に提出した10症例について話しましょうか?と聞くと、一同拍手。
この10症例は、パリ大学の矯正科に今も展示されていますので、治療の詳細について聞きたいとの事でした。
Déjeunerまで、WSLOの症例について、受験時の注意点や症例の選び方なども含めて講演しました。
Déjeunerは、昨年と同じレストランでステーキを頂き、午後は大学病院で患者さんの治療の指導です。
昨年、ヒロシステムで装置を装着した患者さんも来ています。
これからオペなので、外側には顎間固定用のフックが接着されていますが、舌側矯正で外側しばっちゃいけないよと、スーパーバイザーの教授に話しました。
午後一杯、あっちの部屋、こっちの部屋と、次々に呼ばれ、患者さんの口の中を見ては、ここをこうしろ、このワイヤーに換えろ、これはマズイからこうしろ等々の指導を行いました。
病院を去る前、教授達と。
花は、Alainのお墓に供えるために、昼食後に近所の花屋で買ってきた物です。
日本流にブーケにしましたが、お墓に持って行くには、鉢植えのほうが良いようです。
そのあと、LionelにAlainのお墓に連れて行ってもらいますが、Lionelは、つらいからと、車にもどります。
Alainのお墓を前にし、この下にAlainが埋まっているんだということが信じられなかったです。
花束を供えて、自分流に手を合わせてお祈りしました。
その夜は、Weplerで食事をしようと誘ってあったのですが、Alainの家に招待してくれました。
大事な人はレストランには連れて行かない、家に招待するんだ、とのこと。
僕が生牡蠣が大好きだと知っていて、生牡蠣やシーフードを山ほど用意してくれてあり、手土産も何もないので恐縮でしたが、お言葉に甘えて、dînerを頂きました。
Alainの家は、築数百年の古民家を再生したもので、Artそのもの、Alainの人柄そのものでした。
本当にありがとう。
翌日20日は、帰る日です。
朝からいつもどおりモンマルトルを散歩し、午後の便で帰国しました。
次は7月、世界舌側矯正歯科学会がパリで開催されます。
欠席のつもりでしたが、大会長のFillion先生から、Key note speakerで30分の講演と、さらに3時間のpre-congress courseをしてくれないかとのオファーを頂きましたので、受けさせて頂きました。
昨日も、今日も、明日も、日曜日も、朝5時に起きて準備です、、。
少し休みたいな、、。
Avec mes amis à Marseille
Au revoir!
2013年2月7日、私の最も尊敬する、最も大切な親友である、パリ大学矯正歯科の教授であるDr.Alain Deckerが永眠しました。
あまりのショックと悲しみに、何も言葉が出ません。
診療中は、患者さんの治療に集中していますが、診療が終わって帰宅すると、悲しくてしょうがないです。
ひろ矯正歯科の院長日誌に書くべきネタでは無いようにも思いますが、人が死ぬということは、どうゆう事か、生きるということはどうゆう事か、今一度、皆さんも考えて頂きたく、書くことにしました。
Alainは、2011年、大阪でのWSLOの際に、彼を含めた十数名が私の医院に見学に来る予定でした。
松本城観光に始まり、典型的な日本料理での晩御飯を用意していたのですが、3月11日の福島原発事故でフランス政府は日本への渡航禁止令を出したために、残念ながら来日中止となってしまいました。
昨年、パリで一緒に食事をしている時に、「日本に遊びにおいでよ」と誘ったら、「もう少しでパリ大学をリタイアする、そしたらイギリスに引っ越すんだ、だから今、イギリスに家を作っているんだ、そっちが忙しいから無理だ」と言いました。
もしかしたら、その時、彼はすでに彼自身の余命について悟っていたのかも知れません。
パリでの夜は、私が牡蠣が好きなので、高級なレストランを予約してくれ、私が生牡蠣を片っ端から平らげるのを見て、何回も何回もおかわりを注文してくれました。
超一流レストランでのワインと生牡蠣、途方も無く高額なディナーだったと思います。
今年の春は私が彼を招待して、彼の好きな物を腹一杯喰わせてやろうと思っていたのに、、、叶わぬ夢となってしまいました。
最近、悲しい事件が多すぎます。
東北の震災で命を奪われた人達。
笹子トンネルの管理不行き届きから命を奪われてしまった人達。
コネチカットで銃乱射、命を奪われた人達。
LAで冤罪を主張し、警官を逆恨みしての警官殺人。
Guamでの無差別殺人。
今朝、朝御飯を一緒に食べ、行ってらっしゃい、と、手を振って送り出した家族が、帰らぬ人となる。
ついさっきまで、そこで一緒に御飯を食べ、一緒に酒を飲んでいた人が、酒を買いに行ったまま帰らぬ人となってしまう。
人の命なんて、なんとはかない、なんとあっけないものでしょうか。
でも、人間である以上、いつか死ぬ。
必ず死ぬ。
死なない人なんていません。
いつ死ぬかわからないから、出来るだけ手を抜き、出来るだけ楽をするんだ、自分中心に生きるんだという人もいます。
でも私は、いつ死ぬかわからないからこそ、常に自分に出来る限りのことを精一杯頑張って生きなければならない、自分は最後にして、人のために生きなければならない、と考えます。
そして、自分一人で生きているわけではない、自分一人の力で今の自分があるのではないということを常に肝に銘じ、恩を受けた人に恩を仇で返すことが無いように生きて行きたい。
人間は、いろんな人の恩を受けて生きています。
親、恩師、友人、家族、、。
私の親は現在、82才と80才で、幸いにも両親とも健在です。
いつまでも元気でいて貰いたいと、毎朝手を合わせますが、いつ、何処で、どうなるかわからない。
私の親は、とんでもない苦労をして私を歯医者にしてくれました。
歯医者には、親が医者や歯医者で、何の苦労も無しに歯医者になった、開業する時には、土地付き、医院付き、患者付き、スタッフ付き、借金無し、という先生が多いです。
それを妬む気持ちは全くありません。
事実として言えるのは、私の親は、喰う物も喰わないで私を歯科大に入れてくれたということで、これがどんなに大変な事か学生時代は全くわかりませんでしたが、卒業して自分で働くようになって、やっとわかりました。
今、私は矯正歯科医として成功していますが、今の私でさえ、子供が私立の歯学部や医学部に入りたいと言ったら、「頑張って国立に入って頂戴」、と言わざるを得ません。
だから私は、恩を全うするために出来る事は、私自身が最高の歯医者になること、それ以上の恩返しはないだろうということです。
金目当てで歯医者をしている、金目当てで矯正歯科医をやっている先生もいます。
私はお金なんかどうでもいいです。
正直、お金は欲しいですが、それよりももっと大事なことは、最高の治療をすること、最高の矯正医になることだと考えます。
恩師への恩返しについても同様に考えます。
自分の食べる分を取り分けておいて、子供には与えない親がいます。
自分は飢えていても、自分は我慢して、子供に食させる親もいます。
人生の価値観、家族や回りの人への価値観は人それぞれでしょうが、私は最低限、御世話になった人が死んだあとで、「ああしておけば良かった」、「あんなこと言うんじゃなかった」と後悔したくない。
そう考えて、精一杯、毎日生きています。
患者さんの治療にも、スタッフに対しても、家族に対しても。
患者さんや、スタッフや、家族の期待を裏切らないように。
Alainとの思い出を slide showにまとめました。
興味ある方は御覧下さい。