毎日毎日仕事に追われ、気がつけば、新年の御挨拶をする時期ではなくなりましたが、本年の皆様の御健康と御多幸を心よりお祈り申し上げます。
いろんな人から、「学会発表すると儲かるの?」、「学会発表って、義務なんですか?」と聞かれます。
とんでもない、学会発表などしても、一銭にもなりませんし、義務でもありません。
交通費、宿泊費、学会参加費、全て自腹で、3-4日の学会でも、海外ですと、移動日も含めて1週間は不在になるため、謝礼が貰えないどころか、出費+減収で、本当に苦しいのです。
しかも、朝から晩まで診療でクタクタになった身体に鞭打ち、毎日、毎日、早朝と深夜に学会の準備を進めなければなりません。
活字で全てを表現することは出来ませんが、本当に、ほんとうに大変です。
学会参加というのは名目で、じつは旅行という先生が非常に多いのですが、私の場合、準備だけでも何ヶ月もかかりますので、いつも冬には夏の準備をし、夏には冬の準備をするので、真冬に「もう夏だなあ」、真夏に「もう冬だなあ」と独り言を言うと、スタッフも家族も笑いますが、本当にそうなのです。
もう今年で最後にして、来年は休むぞ〜、と、毎年思いますが、でも、ヨーロッパをはじめとするいろんな外国の学会からお呼びがかかると、ぬるま湯に浸かって遊んでいるわけにはいきません。
自分の手帳には、常に2年半先までカレンダーを作り、来年の学会の予定を書き込み、ひろ矯正歯科の患者さんには迷惑がかからないようにスケジューリングしています。
年々呼ばれる数も増えてきており、呼ばれた全ての学会に出向くことは不可能ですので、毎年数件〜十数件のオファーを辞退していますが、それでも、今年はフランス、ドイツ等々でレクチャーを、アメリカの学会には複数参加の予定です。
こうゆう研鑽があるからこそ、ひろ矯正歯科での治療のクオリティをキープすることが出来ていると思います。
今年も、お正月には初詣出を、成人式には牛伏寺を参拝し、厄除けをしてきました。
1年、また1年と、年をとる度に月日が流れるのが早くなり、昨年もあっと言う間の1年でした。
昨年を振り返って、やはり忘れることが出来ないのは、東北大震災です。
地震の時、私は診療しており、1分近くも大きく横に揺れました。
最初は地震だとは気付かず、自分の具合が悪くなり、目眩がしているのだと思いましたが、スタッフも皆、床に伏せており、壁に掛けてある絵が大きく動いているのを見て、地震だと気付いた次第です。
患者さんの一人がワンセグでテレビ中継を写し出し、市原のコンビナートが爆発炎上する映像や、津波でたくさんの車が流されている映像を見せてくれ、言葉を失いました。
現実の映像だと信じられませんでした。
私の母校は、学生が全国から集まって来ているため、阪神淡路大震災の際にも被災者はたくさんいましたが、今回の震災でもやはり同級生が被災しました。
阪神淡路の時と今回の震災が決定的に違う点は、インターネットが普及しており、SNSで複数の同級生と同時に簡単に蜜に連絡がとれる環境が整っていたということです。
私は被災した同級生が無事であったこと、車や周辺の家は流されて壊滅状態になっているということを知り、SNSで同級生に募金を呼びかけました。
国まかせの募金は行方不明になるので殆どしませんが、こうゆう場合は違います。
特に今回は、自分の食を削ってでも行わないといけないと思いましたので、SNSで同級生に募金を呼びかけ、同級生の頭数と被災状況を考えて、一人5万円の寄付を呼びかけました。
20人で100万、40人で200万、、これでも少ないけど、みんなで集めた金を、代表者が「同級生からだ、使ってくれ」と、直接手渡しするのが良いと思いました。
みんな賛同してくれると確信しました。
ところが、実際には、クダラナイ言い訳ばかりで、最後には罵倒、非難の嵐で、電話がかかってきて罵られたりもしました。
「お前にとっては5万円は僅かかも知れないけど、俺にとっては大金なんだ!」とか、「スタンドプレーもいい加減にしろ」等々。
もちろん私にとっても、5万円というのは、大変な大金です。
でも、同級生が被災して、生活に困っている状況が瞼に浮かび、復興にも何年もかかるだろうと思うと、10万、20万の金でなく、もっとまとまった金を送らなければならないと思いました。
反対する奴らには、「毎週ゴルフに行くのを少し減らせば、5万くらいすぐに出来るんじゃないのか?」、「キャバクラに行くのを少し我慢する、ボトルキープを少し我慢すれば、5万くらい出来るんじゃないのか?」(僕はキャバクラなんて行きませんが)、と繰り返し募金を呼びかけましたが、賛同してくれる同級生はいませんでした。
5万は大きすぎる、5000円にしろ、とか、やりたい奴が個人的にやればいいだろう、という意見が殆どでした。
個人的に見舞金を貰っても、自分だったら申し訳なくて受け取れないし、仮に受け取ったとしても、返すことを考えますから、個人的にするのではなく、「同級生一同だ、返す必要はない、使ってくれ! 大変だと思うけど、頑張れよ!」と、一番仲の良かった奴が手渡しするのが良いんだ、と、何度も言いましたが、結局自分の意見は全く通らずでした。
津波で 家族も 家も 何もかも 流された。
昨日まで一緒に食卓を囲んできた 家族 が死んでしまった。
中には、お父さんが帰ってこないけど、何処かできっと生きていると信じて、頑張って生きている人もいる。
自分がそんな状況に置かれたら、悲しくて悲しくて、気が狂ってしまう。
生きて行くことは絶対に出来ないと思う。
助かったけど、避難所生活で、食べる物もない人も。
なのに、6年間苦楽を共にした同級生が苦しんでいるというというのに、ゴルフやキャバクラのほうが大事なのか!
楽しいときだけ一緒に酒飲んで騒ぐ、そんなの友達じゃない!
相手が本当に困っている時に、力になってあげる、それが友達ではないのか!
「金、カネ、言うな、金が全てじゃないだろ!」とか、
「 オレは心配だったから、すぐに携帯で電話した、みんなも電話して励ませばそれでいいじゃないか」
という者もいました。
でも、家族の安否もわからない、家族や親戚からの電話を待っているかも知れないという状況で、同級生からジャンジャン電話がかかってきたら、それはいかがなもんでしょうか。
当時は携帯の充電さえ出来ない状況であったわけですから、それこそ、本当に迷惑な話しではないでしょうか。
私が間違っているでしょうか?
私はそうゆうのは嫌いなので、そのSNSは即刻退会しました。
あとで聞いた話では、結局「個別に対応」だったそうです。
私は大学の同窓会には二度と行かないつもりです。
人生なんて、いつ何が起こるか、本当にわかりません。
さっきまで一緒にそこにいた人が、事故に遭って帰らぬ人となってしまうことだってあるのです。
私はバツイチだということもあり、今の家族が もの凄く大事です。
何物にも変えられません。
そして、頭の悪い自分を、借金して私立の歯科大に入れてくれた両親にも、常に感謝の念を忘れたことがありません。
ですから、1日1日を精一杯生きています。
だから学会発表も、自分に出来る限り精一杯頑張って、アクセル全開です。
自分は最後で良いんです。
死んでから、あれをしてあげれば良かった、こんなことしてあげたかった、と後悔しても遅いのです。
親に感謝もせず、バイク屋のオヤジを尊敬しているなどと、たわけた事を言っているなんて、言語道断です。
私はいつもスタッフにも 同様に言います。
自分優先でなくて、いつも患者さんを最優先で行動してくれれば、私は何も文句はない、と。
私は、スタッフに足を踏まれても、怒ったりはしません。
しかし、スタッフが患者さんの足を踏んづけて知らん顔しているのは、黙ってみているわけにはいかんです。
それを言うと逆ギレして辞めて行く人が多いのが現状ですが、自分のことしか考えられない人とは、チームプレーは出来ないというのが私の考えです。
一生懸命やっても、出来ないのは仕方がないですが、やろうとしない、言うことを無視して勝手なことをする、という人に、うちの大切な患者さんを触って貰いたくない、と思います。
私は自分の人生5箇条、すなわち、
1, 嘘をつかない、誤魔化さない
2, 人の邪魔をしない
3, 相手が誰であろうと、スジの通らないことを許さない
4, 自分に非がある時はすぐに謝罪するが、悪くない場合は絶対に謝らない
5, 常に全開で、自分のためではなく、人のために生きる
を守り、今日も残された人生を毎日精一杯頑張って生きて行きます。
皆さんも今一度、人生について考えてみてください。
(以下の写真はネットからコピーした物です。生きてゆく上で、忘れてはならないと思います。)
[日矯学会]
2011年10月17日-20日、第70回日本矯正歯科学会大会が名古屋国際会議場で開催されました。 本大会では、mini implant screw を使った治療に関して、廣俊明オリジナルの治療法を紹介しました。
近年、加強固定として mini implantが用いられることが多く、空隙閉鎖の際など、バーやアームを伸ばして引く方法が一般的です。 これは、理にかなった方法ではあるのですが、しかしながら、患者さんの苦痛を少しでも減らし、快適に治療を受けていたきたいという 私の治療のフィロソフィーに反するため、バーやエクステンションなどは使いたくないのです。
ひろ矯正歯科では、舌側矯正の装置自体も10年以上前から特注の超小型ブラケットで治療しており、矯正用バンドにいたってはヘッドギアくらいしか使わない、装置も可能な限りシンプルにすることで、患者さんが快適に治療を受けられるように、という努力を最大限、開業当初より徹底して行ってきているからです。
今回学会発表を行ったのは、II級2類のDeep Overbite(下の前歯が上の前歯で覆われてしまって全く見えないような前歯の噛み合わせの深い人)を治療する際に、上顎前歯を圧下(歯を根っこの方向に向かって移動すること)わけですが、舌側矯正では、矯正力が舌側に作用するため、II級2類のような元々内側に倒れている上の前歯を圧下しようとすると、一層内側に傾斜させてしまって、収集のつかない状況になるからです。 そこで、上記のバーやエクステンションが活用されるわけですが、ひろ矯正歯科では、上記のとおり、なるべく快適に治療を受けて頂きたいので、「アーチワイヤーのコントロールを適切に行えば、そのような物を使わなくても良好な結果を得ることが出来る」ということを証明、紹介しました。 発表は展示形式で行いましたが、神谷先生の「こんなに人が集まってくるとは思いもしなかった」というコメントが示すように、ポスターの前は一時黒山の人だかりとなりました。 治療結果が極めて良好であること、Deep biteがきちんと Over correctionされている事等々に驚かれた先生もたくさんいらっしゃいました。 まあ、僕としては、当たり前のことで、いつもやっている事なのですが、、。
その他の演題に関しては、例えば久保明先生の「アンチエイジング up date-展望と課題」など、面白い演題、ためになる講演も沢山ありました。 特に、田中貴信先生の「永久磁石の歯科臨床への応用」という演題はしっかり拝聴させて頂きました。 というのは、私は磁石を用いた保定方法、さらには、ブラケット+ワイヤーに代わる矯正方法として、透明の磁石を応用した方法を特許出願しているからです。
さらに、歯材協主催のシンポジウム、これは面白い企画でした。 シンポジストも本音で語り、質疑応答も本音で、非常にストレートで気持ちのよいディスカッションでした。 歯材協から無償でお弁当を頂けたのも、たいへん有り難かったです。 会長の小川さん、有り難うございました(小川さんは、格闘家ということもあり、裏表がなく一本気で、話していても気持ちのいい人でした。)
[Birthday]
日矯学会の少し前、私は○才の誕生日を迎えまして、スタッフのみんなが祝ってくれました。
本当に嬉しいものです。 ありがとう。
[送別会]
受付の青沼さんが、御結婚のため、11月30日で退職されました。
青沼さんには、ずっと続けて欲しかったのですが、ご主人は美容師さんで、近々独立開業、二人三脚で美容院をやっていかれるとのことで、やむを得ません。
青沼さんは、毎朝本当に早く、勤務開始時間の1時間くらい前から出社して、いろいろ準備をしていました。 ポカもいろいろありましたが、いろんな事に凄くよく気がつき、思いやりがあり、責任感も強く、優しく、愛嬌があり、とげとげしさがまったく無い、一緒にいて本当に楽しい気持ちになる人でした。
末永くお幸せに。
昨年の12月、パリ大学第五の矯正歯科学講座の教授である Dr. Alain Decker と 親友である Dr. Germain Beckerから、2011年の6月に Franceの Reimsで CEOという矯正歯科の学会があるので、45分間のレクチャーをしてくれないかと頼まれました。
6月19〜23はヨーロッパ矯正歯科学会がイスタンブールであるので、両方は出れないなあ、EBO meeting暫く出ていないので、今年は出ようと思っていたんだけどなあ、、、。
でも、折角招待してくれたんだから、今回は EOSはやめて、Reimsに行こう!
と決めて、行ってきました。
じつは、この学会では、アッと驚く大事件が!! (後述)
6月 9日木曜日、パリの シャルル・ド・ゴール空港に降り立つと、Alainが迎えに来てくれました。
シャルル・ド・ゴールから Reims まで車で大体1時間半、Reimsというのは、シャンパーニュ地方ですので、高速道路から葡萄畑やシャンパンのモニュメントを片目に、毎日シャンパン漬けになることを期待しながら向かいます。
道中、Alainと話をしながら、夕方、Reimsに到着しました。
美しい町です。
チェックインした後、ホテルのレストランでシャンパンを頂き、ディナーパーティーに招待にあずかりました。
シャンパン、ボルドーワイン、魚料理、、超・美味しいです。
いつも海外の学会で講演する際は、Baggage lostや交通機関のトラブルなど、万が一のことを考えて学会の1〜2日前に現地入りし、問題ない場合は時差ボケ解消を兼ねて現地観光をするのですが、今回は観光などする時間は全くなく、、 (後述)
翌10日は、pre-congress courseで、Dr. Marco Rosaが “Orthodontie et traitement multidisciplinarie des edentements du secteur antérieur; fermeture d’espace, substitution naturelle versus implants” 、
Dr. Paul Miaraが “Les traitments esthétiques atraumatiques, des traitments chimiques aux traitements prothétiques” というタイトルで講演されるので、どちらも聞きたかったんですが、部屋から出れません、、、なぜか?? (後述)
翌11日は学会の Opening ceremony があるので、朝食をすませて学会場に向かいます。
僕の参加賞には、なんと “VIP” と書いてありました! 嬉しい!
会長の Barthelemy教授の挨拶の後、Alainの講演です。
聞いていて、少々不安に、、、。
「う〜、大丈夫かな〜〜、、」 って、、、何が?? (後述)
明日の仕事場。 すごい立派な会場です。
珈琲ブレイクの際に、学会場で自分のパソコンを繋いで試写してみます。
若干モニターの調整が必要でしたが、OK!
試写を終えたら、急いでホテルに戻ります、、、何故か、、(後述)
その日の夜は、近所のレストランで ビールと キーァを、食事は お魚料理を頂きました。
そして12日、Dimanche。
朝食を食べて会場に向かう前に、緊張をほぐすために学会の受付の女性と記念撮影、、。
あまりにも美しいので、かえって緊張してしまいました、、、。
会場です。
今日は講演です。
準備万端、、とは、とてもじゃないが言えません、、。
トップバッターの Laure Frapier先生の “Pourquoi extraire?” が終わり、いよいよ僕の出番です。
このsessionの présidentsは、Dr. Sandrine Favotと Dr. Emmanuel Frerejouan、僕がステージに上がると、Emmanuelが僕の事を紹介してくれます。
「Dr. Hiro、あなたは、世界で最も有名な舌側矯正医の一人であり、英国矯正認定医であり、ヨーロッパ矯正歯科学会の専門医であり、世界舌側矯正歯科学会の専門医であり、日本矯正歯科学会の専門医であり、、、日本の大地震の大変な時期ですが、この学会のためにはるばる日本から来てくれました。」
身に余る紹介で照れてしまいますが、日本流にお辞儀をすると、会場から大拍手です。
僕のような田舎の矯正医が、なぜこんなに喜んで貰えるのか、全くわかりません。
そして、講演を始めます。
第一声、
“Bonjour, à toutes et à tous!” (こんにちは、みなさま)
場内大拍手!
“Je remercie le Dr Stephane Barthelemy, président du collège européen d’orthodontie, et le Professeur Alain Decker, qui me donnent aujourd’hui l’opportunité de m’exprimer à ce merveilleux congrès.”
(本日はこのような素晴らしい学会で話す機会を与えていただきましたことを、CEOの会長のStephane Barthelemy先生、そしてAlain Decker教授に感謝いたします。)
さっきとは比べものにならない大拍手!!
「ワ〜ォ!!」とか言っている人がいる、、、フフフ。
そして続けます、、。
英語で、、?
フフフ、、。
“Avant de débuter cette conférence, j’aimerais me présenter. J’ai une clinique exclusivement en orthodontie dans la région de Nagano, au Japon. Ma clinique est située à Shiojiri, ville peuplée de soixante mille habitants. Comme vous le savez, la ville de Nagano est connue pour ses jeux Olympiques d’hiver, et est entourée par de magnifiques montagnes et une très jolie nature,,,,”
(講演に先立ち、自己紹介をさせて頂きます。私は日本の長野県というところで矯正歯科を専門に開業しております。 私の医院は、人口6万人の塩尻市というところにあります。長野は冬季オリンピックで知られ、美しい山々に囲まれ、自然環境に恵まれ、、、以下略)
次の文は、英語で、、と思ったでしょう!
誰もが!
Alainも Germainも口を開いています。
じつは、45分間の講演を、英語ではなく、全部フランス語でやってみました!!
しかし、“Avant de débuter cette conférence, j’aimerais me、、以下、さっきの割れんばかりの拍手が打って変わって、場内シ〜ンとなってしまった、、。
「こんな下手くそなフランス語、聞いていられないぞ!」と、みんな怒って出て行ったらどうしようか、と、汗をかきながら続けますが、、フランス語、難しすぎる!
英語と違うところは、フランス語には、女性名詞と男性名詞があって、それぞれによって冠詞が変わる。
さらに動詞は人称に応じて6変化するので、ワカラナイ!
さらに、英語と全く違う発音、「ジュ」や「シュ」や「ジェ」に加え、「オン」などの鼻母音。
さらに rの発音が英語の rではない。
すなわち、rは、「アール」ではなく、「ゲ」(お父さんが歯磨きをした時に、オぇ〜っ!、ごゲぇ〜〜! ペッ、ペッ!!、ってやりますが、あの「ごゲぇ〜〜!」の音です。例えば、 “Hiro” は「ヒロ」ではなく、「イゴ〜」になるのです。)
さらに、発音してはいけない文字がある。
例えば、 “Hotel”だと「ホテル」ではなく、「オっテル」、 “treatment”だと、「トリートメント」ではなく、「トゲットモン」、てな具合です。
ただでも難しいのに、その上に、完全に練習不足。
おまけに、Power pointの presenter’s toolに打ち込んだアクサンが、みんな文字化け。。!!
原稿はこんな感じで、?マークばっかり!
そして、なによりもフランス語のレッスンを始めたのは、今年の1月から!
しかも毎朝5時起きして、恩師と約束した Class IIIの論文書きに追われ、そして45分と3時間のプレゼン作りに追われ、フランス語の練習する時間は全くなく、本当に4,5回しか読む練習をしていないのです。
みんな会場から出て行ってしまったらどうしようと思いましたが、そんな人は一人もいなかった。
それどころか、45分間のプレゼンが終わると、拍手喝采。
ありがとう、ありがとう、、。
Emmanuelが何やら僕にフランス語で話しかけるが、、わからない。
“Je ne comprendre pas,,, mais je ne parle pas français.” 。
すると英語で話しかけてくれ、会場からは拍手が鳴り止まない、、、嬉しい、、頑張った甲斐があった。
会場内から質問が2つほど。
これは英語で答えるが、ステージを降りるまで拍手が鳴り止まない、、本当に嬉しい、、。
フランスの皆様、ご静聴、本当にありがとうございました。
“Merci pour votre attention. Au plaisir de vous retrouver à ESLO Francfort!”
そしてホテルに戻り、着替えて昼食に出掛けます。
昨日のレストランで bièreと vin rougeと Kirを頂き、食事は Tartareを、、、。
そして帰って休もうとするが、、体調に異変。
吐き気と超・下痢ピッピ、高熱。
持っていた下痢止めを倍量飲むが効かない。
熱にはアスピリン大量投与、でも効かない。
その日は学会の dinnerが POMMERYであるんですが、とてもじゃないけど行ける状態じゃないので、キャンセル。
クビにバスタオルをグルグルに巻き、毛布を二枚重ねにして、ヒーターを最強にして、汗だくで寝ますが、高熱でうなされて自分の声で目が覚める。
しかも頻繁にトイレ、、下痢ピッピ。
火曜日は University of Reimsで 3時間の講義をしないといけないので、なんとしても治さないと、、。
夜どおし、下痢と高熱と吐き気にうなされます。
Lundi、13日、お店は全て閉まっている日なのですが、幸運にも少し向こうに開いている薬屋を発見。
症状を話し、薬を買ってホテルに戻って飲んで、そろりそろり学会場に向かいます。
そして閉会式まで会場で過ごし、Alainと一緒に昼食会場に。
お昼御飯、凄く美味しそうですが、僕は我慢して薬と暖かい珈琲を飲みます。
今晩、御飯を一緒に食べに行かないかと誘ってくれ、下痢なので食べれるかどうかわからないけど、一応行くことに。
幸いにも、朝飲んだ薬が劇的に効き、夕方には普通に歩けるほどに。
Alainお気に入りの店で生牡蠣や海老などシーフードを頂きます。
病み上がりでやめといたほうがイイかなと思いましたが、大丈夫でした。
美味しかった。
翌朝、ホテルをチェックアウトし、大学に向かいます。
3時間の講演内容は、、、内緒です。
大学の先生達と。
そのあと、Alainの車でパリに向かいます。
彼の御息子の Lionelのラボを見学に。
彼とは、Londonの ESLOで会っていますが、ラボに行くのは初めてです。
素晴らしいラボです!
部屋も綺麗、机も綺麗、仕事も綺麗、、、何よりも女の子がメチャクチャ綺麗!
その後、Université de Paris Vに向かいます。
パリにはいくつか大学がありますが、Paris Vは一番大きく優秀です。
近々、他の大学は Paris Vに統合されると聞きました。
歯学部の入り口です。 病院玄関は他にあります。
Paris Vの大学病院は、4つあるそうですが、モンマルトルの近くにあるこの病院は、とても病院とは思えない、すばらしく美しい病院でした。
病院の中庭には葡萄畑もあり、毎年この葡萄でワインを作るそうです。
矯正歯科を案内して貰ってから Alainが 凱旋門近くのホテルまで送ってくれました。
その夜は凱旋門に登り、晩御飯は中華に。
翌日は帰る日です。
朝からモンマルトルに向かいます。
お目当ての画家さん、、いるかなあ、、。
いました、いました。
彼とは8年ぶりの再会です。
2003年に会ったときの写真を持参、暫くお話しをして、絵を1枚買って、また来年会いましょうと別れを告げます。
そのあと、世界屈指の舌側矯正専門医、Didier Filion先生のオフィスに向かいます。
とても美しい診療室で、感動したのは、全て彼自身が行っているということです。
日本と法律が違い、フランスでは、歯科衛生士は患者さんの口の中に手を入れてはいけないのですが、全てを一人で行い、毎日朝10時から夜7時半までだとか、、。
お忙しいところお邪魔しました。
今回の学会、いろんな点で今までと違い、たくさん思い出が出来ました。
フランスの友達、また会いましょう!
“Au revoir!”