松本歯科大学歯科矯正学講座、松本歯科大学独立系歯学研究所教授、総合歯科研究所、そして、シンガポール国立大学歯学部歯科矯正学修士課程教授の出口敏雄先生が、2007年3月を以て松本歯科大学を退官されますので、退官記念祝賀会が10月29日、名古屋のマリオット・アソシアで開催されました。
出口先生は1964年に東京医科歯科大学歯学部を卒業、大阪大学大学院歯学研究科を修了されたあと渡米され、インディアナ大学大学院歯学研究科修士課程を修了されました。
帰国後は、名古屋大学医学部助手、徳島大学歯学部助教授に就任されたあと、1970年より、松本歯科大学歯科矯正学講座の主任教授として、現在まで想像を絶する超々多忙な日々を送られて来られましたが、退官後は隠居されるどころか、シンガポール国立大学歯学部歯科矯正学修士課程教授として赴任されます。
とうとうこの日が来てしまいました、、。
自分が矯正学を志したのも出口先生がいらっしゃったからで、僕の人生に一番大きな影響を及ぼした先生です。
矯正学の教授が出口先生でなければ、自分は矯正専門医にはなっていなかった事は間違いありません。
矯正科に入局した当初は、右も左もわからず、礼を失することも多々あったと思いますが、終始、暖かく見守ってくださいました。
当時は松本歯科大学には大学院がありませんでしたが、福岡歯科大学に持ち込みで学位まで取らせて頂きました。
Charles H. Tweedや、Univ. of Southern Californiaのコースを受けろと、他の先輩医局員をさしおいて真っ先に声を掛けてくださったのも出口先生、自分が医局を退職した後も終始御指導御鞭撻を頂き、英国矯正歯科認定医(M-Ortho RCSEd)や、ヨーロッパ矯正歯科学会専門医試験(European Board of Orthodontists)に挑戦する機会を与えてくださったのも出口先生、Indiana Univ.でJarabak Awardを受賞された時に舌側矯正に関する講演をさせて頂く機会を与えてくださったのも出口先生、矯正学の楽しさと恐ろしさを教えて下さったのも出口先生、野球を教えて下さったのも出口先生、、、。
医局に在籍当時、出口先生の姿を見ていてつくづく感じたのは、矯正歯科医というのは明けても暮れても勉強なのだ、一生全開で走り続けなければならないのだ、という事でした。
医局を退職して開業した後も、こんな出来の悪い教え子が、医院の採算など度外視で、診療に、研究に、学会発表にと、時間と労を惜しまず頑張って来れたのも、出口先生の姿をいつも見ていたからこそであると思います。
いつも他の矯正専門医の先生から「開業していて、そんなにいろいろ一人で出来るわけがない」と言われますが、自分としては当たり前の事をしているだけです。
自分のしていることなど、出口先生の何百分の1、いや、何万分の1です。
式典では出口先生の業績集を頂戴いたしました。
「論文は、英語論文しか論文とは言わない」という出口先生の口癖どおりに、英語の論文・学会発表は124を数え、本当にこれほどの業績を、診療、教育、研究にと残された先生は稀ではないかと思います。
22年間お世話になった出口先生が松本から去られるというのを考えると、本当にこみ上げてくる物があります。
いつかは来る日だということは分かっていましたが、いざ、この日になってみると本当に、、、辛かったです。
お目出度い席なので一生懸命気持ちを切り替えるように努め、宴会中は他の先生達と楽しく過ごさせて頂き、気を紛らわすことが出来ましたが、最後に金屏風の前で出口先生御夫妻に御挨拶を申し上げた際には、本当に涙がこみ上げて来て言葉が出ませんでした。
この場を借りてお詫び申し上げますとともに、今後の益々の御活躍をお祈り申し上げます。
長い間、本当にありがとうございました。
これからも精一杯頑張りますので、よろしくお願いいたします。
僕は一番下座の、出口先生のご家族と一緒のテーブルで嬉しかったです。
当日、塩尻駅前ではワインフェスティバルが、、、飲みたかったけど、我慢しました。
10月21日、恒例の良い歯を守る相談会が塩尻市の健康長寿課にて行われました。
約60名のスタッフで、2時間で359名の受診者の口腔内のチェック、ブラッシング指導、フッ素イオン導入などの予防処置を行いました。
良い歯の長をつとめさせて頂くようになってから以前から気になっていた部分を改めるべく、改善を進めております。
その最たる物が、感染予防です。
受診者の方々の口の中をチェックする際、染色する際、歯磨き指導をする際、予防処置をする際、スタッフはグローブをつけていますが、グローブを患者さん毎に新しい物に換えるようにと指示をしました。
他の人を診たグローブをそのままハイアミンなどの液で洗って次の人を診る、という歯科衛生士が多いのですが、グローブにピンホールが開いていれば感染拡大の恐れがあり、危険だからです。
ただ、巡回していると、あれほど言ったのに守っていないスタッフが数名いたのが残念でした。
次回は来年春の相談会、その時には徹底します。
さらに、今回終わってみて、要改善であると思った点が7点ありました。
次回にはこれらを改善し、より快適に、よりスムーズに相談会が進むようにしたいと思います。
相談会のある日は午前中、午後共に1時間ほどしか仕事が出来ません。
日頃大変苦労をかけているスタッフを労うために、午後は思い切って休診とし、松本でお食事をしました。
まずはアイリッシュ・バーでカンパ~イ。
その後は仙岳でしゃぶしゃぶです。
美味しかったですね。
毎日大変な仕事に文句を一言も言わず、一生懸命頑張ってくれているので、これくらいは当然であると思います。
明日からまた宜しくお願いします。
お気に入りのアイリッシュバーです。
割烹 仙岳のしゃぶしゃぶです。美味しかった~。
Kさんは4年半、ひろ矯正歯科に勤務されました。
矯正の経験がないため、勤務開始当初はわからない事が多く大変だったと思いますが、文句を一言も言わず一生懸命努力されて、1年後には殆ど何でも安心して頼めるレベルに達しました。
「最近の子はすぐに辞めて行く」、「ちょっと注意すると、明くる朝に保険証と鍵を置いて勝手に辞めて行く」と、他の先生も、労務事務所の先生も口を揃えて言います。
ひろ矯正歯科にも同様の人がいて困る事がありますが、Kさんは目出度い寿退社、おめでとうございます。
長期間頑張ってくれて、きちんとした辞め方をしてゆかれる方に対しては、感謝の気持ちを込めて宴を設ける事は最低限の礼儀であると私は考えますので、長野県の誇り、仏蘭西料理の代名詞であるレストラン鯛萬で送別会を行いました。(そのへんの居酒屋で三本締めで行うのはナンセンスでしょう!)
Kさんは、患者さんのブラッシング指導、診療に必要な全ての処置(全て法律で許された範囲での業務です)、在庫管理、リーフレット等の製作、歯科衛生士学校の学生さんの指導、受付業務等々やってくださり、本当にお疲れ様でした。
Kさんは特にリガチャー、エッチング、口腔内写真が上手かったですね。
しっかりと確実なリガチャーに、過不足無くちょうど良いエッチング、上手い写真、本当に助かりました。(現在ひろ矯正歯科では、患者さんの歯を守るためにエッチング不要のボンディング材を使用しています)
Kさんのような優秀な歯科衛生士が結婚を機に職から離れてしまうのは非常に残念なことです。将来、手が離れたらまた歯科衛生士として復帰される事を希望します。
末永くお幸せに。
K先生とKさん よろしく、そして、ありがとう。
モザイクは、K先生の同意が得られませんでしたので かけてあります。
10月から勤務開始のK先生は大学卒業後、大学院に進まれ博士を取得されました。
ひろ矯正歯科を開業して以来、私はずっと一人で診療し、学会発表をし、論文投稿などをしてきました。
病気や怪我などで患者さんに迷惑がかからないように、常に健康管理に気を遣い、12年間ずっと気を張りつめて頑張って来ましたが、私とて所詮は人間、いつか具合が悪くなったり、事故に遭う可能性もゼロではありませんので、万が一の際に患者さんに迷惑がかからないようにと、アソシエイトの先生を捜していました。
今まで何人か応募がありましたが、なかなか条件に合う先生が見つからなかったため、一人でやってきました。
K先生は育った環境が違いますので、慣れるのに暫く時間がかかると思いますが、よろしくお願いいたします。
プライバシー保護のためにピクセルを落としてあります。