裏側からの矯正歯科では世界で最も歴史と権威のある European Society of Lingual Orthodonticsの 第12回学術大会 が 6月30日から7月3日、アテネの メガロン・コンサートホールで開催され、学会から全てのセッションにおけるベスト・スピーカー賞を頂きました。
1年ほど前でしょうか、大会長のDr. Takis Kanarelisから学会への招待と講演の依頼、症例審査委員会の委員長である Dr. Germain Beckerからは、アクティブ・メンバーの症例診査を依頼されました。
ESLOは自分が最も大好きな学会なので、講演依頼は快諾しましたが、症例の診査・採点を行う事は辞退しました。自分は Non-Europeanなので、ヨーロッパの先生達からクレームが出るといけないと思ったからです。
しかしながら、学会は、Hiroは世界で初めて EBOを全部舌側矯正で合格した矯正専門医であり、会としては Only One Non-European Examinerとして Hiroが試験官をやってくれることを誇りに思うから、是非とも引き受けて欲しい、とのお言葉を頂きましたので、有り難く引き受けさせて頂きました。
ギリシャといえば、サントリー二島の青い海と白い建物、アテネといえば、アクロポリスです。
いつも仕事が忙しくて、リラックスすることが出来ないので、今回はサントリー二島にも行ってみたいなあ、アテネ市内もバッチリ観光するぞ! と、中央タクシーで松本を後にしました。
シャルル・ド・ゴールで ANAから Air Franceに乗り継ぎ、 6月30日の夜中零時半頃に学会場近くの ヒルトン・アテネに到着。
部屋からは、ライトアップされたアクロポリスが見えました。
疲れていましたが、プレゼンの準備が終わっていないので、寝ている場合ではありません。
パワーポイントに直しを入れ、講演時間をオーバーしないように発表練習し、また直しを入れ、、、気がつけばアクロポリスが朝日に照らされています。
朝食を食べながら今日は何処に行こうかな、と、ネットで観光を模索し、ついでに明日から始まる学術大会のプログラムをチェックすると、、、あっ! 今日は症例の採点をしなければならないじゃん!!
というわけで、観光はナシ、朝食を済ませてすぐに学会場に向かいます。
会場に着いて審査委員会のメンバーと採点方法の確認を行い、症例審査を開始します。
自分を含めて11名(イギリス、フランス、ルクセンブルク、ドイツ、ロシア)の先生達が所定の方法で Titular member, Active memberの症例審査を行います。
夕方には全ての審査が終了し、審査委員全員でミーティングを行い、解散。
ホテルに帰って、再度、パワーポイントに直しをいれます。
夜は20:00から恒例の Welcome Cocktail Partyです。
お迎えのバスで会場に向かいます。
会場では、2時間ほどの Greek dancingのあとでカクテルパーティーが始まりました。
ビールを飲みながらいろんな先生達と会話が弾みます。
翌日、7月1日は朝から学会場に行き、他の先生方の講演を聞き、Dental Technicians’ Meetingにも顔を出し、アッという間に1日が終わります。
その夜は、President’s Dinner Partyが シーサイドの レストランで開催されました。
1993年から毎年ミシュランを獲得しているレストランです。
自分の席はFernandoがキープしてくれたのですが、自分のテーブルは確保されているとのことでそちらに移動、ESLOの歴代会長達とお話をしながら楽しくディナーを頂きました。
ホテルに戻り、またパワーポイントに直しを入れます。
翌日、7月2日は 10:40から自分の講演です。
講演内容は、Japan Orthodontic Board、すなわち日本矯正歯科学会の認定医、指導医、専門医の制度と試験内容について、American Board(ABO)、European Board(EBO)と比較して紹介、合格症例をまじえてお話させて頂きました。
まず ABOについて。
ABO試験は、ケース・カテゴリーは指定されていませんが、難易度の指定があり、DIが20点以上の症例を3つ、10点以上の症例を3つ提出しなければならないということ、そして何よりも他の試験と違うところは、治療の終了した症例を持って行くのでは無くて、これから治療をする症例を持って行き、定められた期間内に試験に合格するレベルで治療を終了して提出しなければならないということです。
もちろん臨床試験を受けるには、事前に筆記試験、口頭試問にも合格しなければなりません。
自分も ABOを受けてみたいのですが、残念ながら ABOはアメリカ、カナダの歯科大学を卒業するなど、所定の要件を満たさなければ受験資格がありませんので、自分には受けることが出来ません。
EBOは、指定されたカテゴリーの 8症例を持参、もちろん口頭試問もあります。
EBOが他の試験と違うところは、生涯で 2回しか受験できない、つまり、1発目で合格しなければ、あと 1回しか受験する事が出来ないという事です。
幸にも自分は 1発で合格しましたので、プレッシャーはありませんでしたが、1回落とすと、チャンスはもう 1回しか無いわけで、それが恐くて 2度目の受験を躊躇する先生が多いと聞いています。
講演では、「もしも2回以内に受からなければ、死ぬまで受ける事はできません。」と言ったら、狙いどおり、会場内バカウケでした、、ヨカッタ!
そして、日本矯正歯科学会の専門医試験について。
日本矯正歯科学会は、認定医制度を1990年に、指導医を1997年に、そして、専門医を2006年に発足しております。
現在、日矯学会の会員数は約6600名、この中には、小児歯科、一般歯科の会員が相当数います。
そして認定医が3029名、この中にも、小児歯科、一般歯科の会員が相当数います。
そして専門医は309名、会員全体の4.8%にしかすぎません。
私個人の意見としては、「日本矯正歯科学会専門医」はその名のとおり、「矯正歯科専門医」であるべきだと思いますが、実際には、小児歯科診療を日々行っていることが明らかな矯正歯科専門医で無い先生も含まれている事が確認されています。
日矯専門医試験は、10種類のカテゴリーが指定され、治療結果だけで無く、写真や模型の質、レポートの詳細さなども採点対象なります。
発足当初、私が受験した頃は、一度に10症例を持って行き、合格しなければなりませんでしたが、最近では、いくつかの症例を自分で選んで提出し、所定の年度内に10種類のカテゴリーを合格すれば良いという「積み上げ方式」となっており、ハードルが大幅に低くなりました。
日矯専門医の試験は、匿名で行われており、試験官が誰か、受験者が誰かということは完全に秘匿化され、受験者は症例展示室の入り口で受付番号とはまた異なった番号札を渡され、その番号のところに症例を展示します。
所定の時間内に展示を終え、部屋を退室、そのフロアから誰も居なくなった後、試験官がやって来て、採点を開始します。
ハードルが低くなったとはいえ、過去には某歯科大学の教授が2度も試験に落っこちていますので、日矯専門医試験がいかに公正かつ公平に行われているかということがおわかり頂けると思います。
興味深いのは、日矯専門医の数が、2009年には 323名居たのが、2016年では 309名に、24名減少しているということで、普通は会員数を増やしたいので、経年的に増加して行く傾向があると思いますが、日矯専門医に関しては、減っているということです。
これはそれだけ試験がきびしいということか、志願者のレベルが低下しているのか、あるいはお亡くなりになったか、更新試験に合格できなかったか、といったところでしょうか、、。
与えられた講演時間を超過すること無く、講演を終えました。
以前にひろ矯正歯科に見学に来た親友の Fernandも講演を行いました。
その日のプログラムが全て終わったあと、DUOL reunionに呼ばれていましたので出席しました。
パネルには、パリ大学での写真がたくさん貼ってあり、自分が診療している写真や、パリ大学の先生達と一緒に過ごしている写真がたくさんありました。
みんな一言づつコメント述べましたが、自分は Alainが健在であった頃の思い出が次々と思い出され、こみ上げてきて、何も話をする事が出来ませんでした。
Alainの真似をして、隣の人達を倒してやりました(^^;)
その夜は埠頭の素晴らしい会場で Gala Dinnerが行われました。
最初は端っこのテーブルに座っていたのですが、Hiroの席はこっちに用意してあるから移動してくれと呼ばれて、ステージ前の席に移動します。
Galaではいつも Active member, Titular member試験の合格者の発表と、学術大会の表彰が行われます。
以前にひろ矯正歯科に見学に来た Dr.Svetlana Koval, Dr. David Manzanera が Active member試験に合格されたのは、我が事のように嬉しかったです。
Michelと話をしながら食事をしていると、全てのセッションでのベスト・スピーカー賞に “Toshiaki Hiro”と呼ばれ、慌ててジャケットを羽織ってステージに登ります。
Best speakerや Best panelistは、会場で聴講している先生方の投票によって決まります。
仲が良いから授与するなどのインチキは一切ありません。
ところが、私の受賞に嫉妬して腹を立てた日本人の先生が、あろうことか学会の重役に暴力を振るい、殴られた先生はメガネが吹っ飛ぶという、信じられない事件がありました。
私が試験官を務めたことも、ベストスピーカーを受賞したことも、ヨーロッパの先生達は歓迎し祝福してくれましたが、日本人の先生達は妬み、嫉妬していたようで、なんとも恥ずかしい、心貧しい人達だなあと思いました。
翌日4日は学会最終日です。昼過ぎに全てのセッションが終了し、以前 ひろ矯正歯科に見学に来たDr. Chintan Valiaが Acropolisに行こうと誘ってくれましたので、一緒に見学しました。
彼は携帯一つで何でもこなし、1ヶ月間 松本に居たときには自分よりも松本のことをよく知っていたのには驚かされましたが、この日も、正規料金の半額以下の格安タクシーを呼び、晩御飯も美味しいステーキレストランに案内してくれました。
翌日は帰路に着きます。
休む暇も無く、帰国した翌日から患者さんがぎっしりです。
いろんな先生が学会前後にギリシャ観光、やヨーロッパ観光をしているのに、自分は今回も殆ど学会のみ、、まあ仕方が無いです。
次回のESLOは、2年後にリスボンで開催されます。